関東大震災」タグアーカイブ

●おでんのルーツは、味噌田楽
串に刺した豆腐に味噌を塗って焼く味噌田楽
そこに宮中に使えた女性たちの丁寧語である「お」をつけて、
「おでんがく」となり、さらに「おでん」と呼ばれるようになった
 
●せっかちだった江戸っ子のおかげ
味噌を塗ってから焼く旧式のおでんは、手間がかかる
煮込むおでんの場合、具材を入れて煮込むだけで手間がかからない
煮込むおでんも串に刺さっているので、食べるのに手軽
江戸中期に濃口醤油が登場したことで調味料が発展
おでんは、瞬く間に江戸っ子たちに大人気となった
 
●全国におでんが広まった理由は、関東大震災
大正12年に起きた関東大震災
震災後、全国から復興支援の人々が東京に集まった
江戸っ子は、自分らが食糧難であったにもかかわらず、
復興支援に来た人たちにおでんを振舞った
美味しさと手軽さに感動した復興支援者は、各地に持ち帰って
全国に煮込み式おでんが広まった

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カレーパン発祥の店、カトレア
細かく切った豚肉、玉ねぎ、ニンジンを入れたカレーを
パン生地で包んで形を整え、パン粉をまぶして一晩 発酵
180℃の油で3分揚げて完成する元祖カレーパン
 
●焼かずに揚げるカレーパンが誕生したワケ
 
大正時代、関東大震災直後、カトレアも大きなダメージを受けた
2代目の中田豊治氏は、店を立て直すためにヒット商品を考えていた
その開発のヒントとなった料理が、
当時大人気だったカレーライスとポークカツレツ
カレーのルウをパン生地で包み、
カツレツのようにパン粉をつけて油で揚げるカレーパンが誕生
 
カレーパンの楕円形は、カツレツの形をイメージしている

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築地、文字通り、地を築くと書いて築地、元々は海だった
 
江戸の半分が焼けた明暦の大火で浅草の南側にあった本願寺の本堂が焼け落ちた
江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、
その代替地として八丁堀沖の海上が下付された
そこで佃島の門徒が中心となり、
本堂再建のために海を埋め立てて土地を築いた
その場所が、築地
 
その後、その周辺には、海軍大学校や外国人のための建物が建てられた
 
日本橋魚河岸は、江戸幕府に魚を納めた余りの魚を
市中で売ることを許された漁民、商人が
船による運送の便のよい日本橋の河岸周辺に集まって発展してきた
 
1923年9月1日に起きた関東大震災で東京は壊滅した
同12月、水運、陸運に恵まれていた旧外国人居留地や
海軍大学校の土地を借り受けて、
臨時の東京市設魚市場を開設したのが、築地市場の始まりとなる

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歴史学者:磯田道史によると
●二重まぶたの整形手術は、関東大震災がきっかけ
 
1923年(大正12年)に発生した関東大震災
死者、行方不明者 約10万人にのぼった未曽有の大地震
長野県出身の天才眼科医:内田孝蔵は、
関東大震災で被災した人たちの治療にあたっていた
被災者の中には、火事による顔に火傷をおった人が多数いた
傷を治すのに何とかしたいと容姿について考えていく中で、
美人とは何かの研究を始めた
当時の日本は、西洋の映画やファッションの流行で
西洋人の美に憧れが高まっていた時代
そこで内田は、美人スターと呼ばれる人たちの写真を集め、
美人の条件を数値化
 
内田はひとつの結論に達した
目が大きい美人は、二重まぶたである人が多い
 
関東大震災をきっかけに、
内田が世界で初めて考案したのは、二重まぶたの整形手術だった

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