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●「おかめ」と「おたふく」は、モデルとなった女性が違う
「おかめ」と「おたふく」のどちらも夫婦円満、
子孫繁栄、商売繁盛などの幸福の象徴として扱われることが多いが、
それぞれモデルとなった女性が違う
 
●「おかめ」のモデルとなった女性
鎌倉時代初期、京都に長井飛騨守高次という名大工がいた
そんな高次に千本釈迦堂の建設が依頼された
張り切って作業していた高次だったが、
四本ある支柱の一本を短く切ってしまうミスを犯してしまう
支柱となる大きな木は、他に用意はできない
悩みこんでやつれていく高次を見かねた妻が助言した
短く切った柱に合わせ、他の三本も切り落としては、と
この窮地を救った妻の名が、阿亀(おかめ)
助言通りに短く切りそろえた高次は、
見事 のちに国宝となる本堂を完成させた
 
鎌倉時代は、女性が男性の仕事に口を出すなど言語道断の時代
一世一代の仕事に妻が助言したことが、
他人に知られたら夫の恥になると考えた阿亀は、
全てを秘密にしようと自ら命を絶った
 
高次は、阿亀に似せた面を千本釈迦堂に飾り、冥福を祈った
「おかめ」は、究極の内助の功として知れ渡り、
高次と阿亀は理想の夫婦として夫婦円満の守り神としても広まり、やがて幸福の象徴になった
現在、千本釈迦堂の境内には、おかめを祀ったおかめ塚が造られている
 
●「おたふく」のモデルとなった女性
モデルとなったのは、江戸時代、京都にいたお福という女性
とても貧しい家庭で育ったお福は、偶然すれ違った男性に声をかけられた
その男性は、福助人形で有名な叶福助で、呉服屋を営んでいた大金持ち
福助がお福に一目惚れ
お福は大金持ちの福助と結婚、貧しい生活から一転、生涯幸せに暮らした
そんなお福のシンデレラストーリーは、評判となり、
お福にたくさんの福が訪れた、ことからお多福と呼ばれるようになった
現在でも縁起物としてお多福と福助人形はペアで飾られることが多い
「おたふく」は、究極の玉の輿に乗った女性
 
「おかめ」も「おたふく」も偶然ふくよかな顔の女性で
幸せの象徴でもあったことから、次第に2人は混同されることになった

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