借金してまで遊郭に通っていた歌人:石川啄木

明治の歌人:石川啄木の代表作
“はたらけど はたらけど猶 わが生活楽に ならざり”
 
学歴がなく仕事に就けなかったのだが、それは自業自得
中学時代(現盛岡一高)、カンニングを繰り返してバレたり、
出席日数不足や成績の悪さから退学勧告を受け中学を退学していた
 
最も迷惑をかけたのは、中学で一学年上だった金田一京助
金田一秀穂の祖父にあたる
お茶が無くなりお湯しか飲めないくらい石川啄木にお金を貸した
もちろん返済はされない
 
金が無くなれば友人から借金
63人の友人から借りた金額は、現在の2700万円相当にのぼる
当時の心境を詠んだ歌が、
“一度でも 我に頭を 下げさせた 奴ら全員 死にますように”
 
そんな啄木のせいで不遇な生活を強いられていたのが、
19歳の時に結婚した妻:節子
働かない啄木に代わって生活費を稼いでいた
執筆のためのインク代が無くなるほど生活は困窮
1907年(明治40年)、啄木21歳の時のこと、
北海道の新聞社 小樽日報の記者とて働き始めた
給料は25円、現在の50万円相当
しかし生活は楽になることはなかった
 
その理由は、啄木の死から数十年後、
啄木が残した日記が出版され明らかになる
“10人ばかりの女を買った。みつ、まさ、きよ、つゆ、はな、あき…名を忘れたのもある”とローマ字で書かれていた
借金をしていた理由は、浅草の遊郭通いだった
ローマ字で書いていた理由も書かれている
“予は妻を愛している愛しているからこそ、この日記を読ませたくないのだ”
 
啄木は亡くなる前、節子に日記を燃やすように命じたが、
節子は「愛着から燃やす事ができませんでした」と日記を金田一に託し、
図らずも日記は書籍化されてしまった

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