犯罪」カテゴリーアーカイブ

●外でペットをブラッシングすると法律違反
動物愛護管理法に違反する可能性があり、50万円以下の罰金が科せられる
外でブラッシングすると毛が飛んで周囲が汚れ、
毛についたノミが散らばり、人の身体に害を及ぼす可能性がある
恋愛ドラマや映画の定番
 
●結婚式の元彼からの「ちょっと待った!」も法律違反
妨害目的で結婚式場の敷地内に入る場合には、建造物侵入罪が成立する
罰則は、3年以下の懲役、または10万円以下の罰金
ちなみに式場の外から「ちょっと待った!」と叫んでも
式を止めるなど結婚式に対する直接的な妨害を行った場合、
威力業務妨害罪にあたる
 
●仕送りなどの宅配便に入れた手紙は、法律違反
郵便法では、信書の扱いが厳密に決まっている
信書とは、差出人の意思が書かれている手紙
扱っていいのは、原則 郵便局のみ
郵便局以外の配達業者が信書を運ぶと法律違反になる可能性がある

(253)

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アメリカの天才科学者:シーシー・ムーアが考案
 
DNA分析サイトとは、自分のDNA情報を登録すると
近いDNA情報を持った別の登録者を特定するサービス
生き別れになった親族や血縁のルーツを把握する目的でアメリカで流行している
 
1、捜査は、犯人のDNA情報を分析サイトにアップロード
2、DNAがマッチした相手=犯人の遠い親戚の人物を特定
3、次に犯人の親戚にあたる人物の家系図を作成する
それは、一般的な数世代の家系図ではなく
200年以上も遡った数千人規模の壮大な家系図
家系の情報は、Facebook、Twitter、InstagramなどのSNS、
古いモノは婚姻に関する新聞記事からパズルのピースを集めていく
数千人のうち犯人の世代は、数十名
そこから年齢、性別など犯人像と一致する人物を絞り込む
4、絞り込んだ人物のDNAが、犯人のDNAが一致すれば、犯人確定となる
 
この操作方法は、これまで全く捜査線上になかった人物を一瞬にして炙り出せる
 
この操作で犯人の身元特定に成功した未解決事件は、33件も解決した

(432)

昭和48年、愛知県の豊川信金に就職が決まった女子高生が、友達に「信用金庫は危ないらしいよ」と冗談を言われたことが始まる
女子高生は、帰宅して親戚に電話で「信用金庫は危ないの?」と相談する
親戚は、信用金庫の本店の近くに住む親戚に「信用金庫は危ないのか?」と聞く
その親戚は美容院で「信用金庫は危ないらしいよ」と話した
その美容院に たまたまいたクリーニング屋の主人が、その話を聞く
主人は家に帰り、妻に「信用金庫は危ないらしいよ」と話をする
その妻が、主婦仲間に話を広げる
クリーニング店にサラリーマンの男性が電話を借りに来た
「豊川信用金庫から100万円をおろしてくれ」と電話で話す
後に分かったことだが、この100万円は会社で使うお金のことだった
この電話を聞いた人が、豊川信用金庫が潰れてしまうと勘違いし、急いで180万円 引き落とした
その「信用金庫はつぶれてしまう」という話を地元のアマチュア無線家が無線で広めてしまう
噂はエスカレートし、信用金庫の理事長が責任を取って自殺した、というデマが生まれた
その結果、豊川信用金庫の窓口に5000人が殺到し、お金を引き出すパニックとなった
3日間で26億円が引き出された
その後、自殺したはずの理事長が窓口に現れ、
パニックに対応したことで、自殺していなかったとパニックは、どんどん収束に向かった

(443)

1968年12月10日、東芝府中工場のボーナス約3億円が強奪された
東芝社員のボーナスを運搬していた現金輸送車に
白バイ警官に扮した犯人が接近し、現金輸送車を停止させた
「車にダイナマイトが仕掛けられている」と運転者らを車から遠ざけた
そして現金輸送車の下に発煙筒を焚き、ダイナマイトだと偽装して車を強奪
当時、犯人のモンタージュ写真も作成され、容疑者は約11万人
警察官延べ17万人、捜査費用9億円を投じた大捜査が行われたが、
1975年12月10日、公訴時効(刑事事件の時効)が成立
1988年12月10日、民事時効が成立
 
●疲れた捜査員のために落語家を呼び、トークショー
事件発生から2か月、連日早朝から深夜まで捜査を続け、
捜査員たちの疲労はピークに達していた
そこで捜査員の士気を高めるため、警察署に落語家:柳家金語楼を招いた
 
●本物の遺留品をデパートに展示
事件発生から4年、捜査は暗礁に乗り上げつつあった
そこで捜査本部は1000万人の大捜査作戦と名付けたイベントを開催
会場は、池袋西武百貨店
本物の遺留品を公開した
事件を思い出してもらうと同時に来場者から目撃情報を集める目的があった
有力な目撃情報こそ集まらなかったが、イベントは大盛況だった

(868)

国立情報科学研究所:越前功教授によると
顔と手を一緒に撮影した写真をネットに提示すると、
個人と指紋を特定される恐れがある
 
自分で投稿しなくても他人が知らないうちに
撮影した写真に写り込むリスクもある
 
指紋や顔、声、模様な人によって異なる目の虹彩などの
生体情報は、行政機関や企業の入退室管理、
ネット決済にも利用されている
 
実験によると3mの距離で撮影した画像でも指紋が読み取れた
 
自撮りのピース写真をネットにアップすると簡単に盗まれる

(132)

公共の安全を維持するために警察内に設けられた公安
各都道府県の警察に存在し、
事件が起きてから捜査するのではなく
テロなど日本の安全を脅かすような大事件を
未然に防ぐために危険な団体の動きを日々追跡している
公安の捜査内容は機密性が重視されることから
全てが解決しても明らかにされない
そんな公安の中で特に秘密性の高い捜査を行う組織が、ZERO
もちろん通称、そんな名前の部署があるわけではないとされる
ZEROは警察庁 警備局という部署に存在するという
 
1991年夏、大阪府警本部の近くにある雑居ビルの302号
倒産した企業から大阪府が買い取ったビルの1室
招集がかかったのは大阪府警の公安課に属する6人の捜査官
「一度しか言わない。上から指令が下った。日本赤軍を日本国内で逮捕せよ」
学生運動から派生した過激派集団の日本赤軍
多数の無差別テロ事件を起こしていた
「日本赤軍の幹部が密入国している可能性があるとの情報が入った」
1991年に勃発した湾岸戦争
多国籍軍が入ってきた中東は、
日本赤軍の潜伏先として最適な場所ではなくなっていた
そこで新たな活動拠点として警察が睨んだのは日本
日本政府は日本赤軍幹部の帰国を極めて恐れた
捜査の拠点となったのは、日本赤軍の支援者が多い大阪
「日本赤軍の支援者になりそうな人間を徹底的に視察しろ。これまで視察しなかったような人間まで徹底的にすべて突き上げろ。君たち追求班にかかっている」
不審な人物を匿っていないか?膨大な数の候補者を徹底的に見張った
視察した数は、数百人にのぼる
そして、その中から浮かんできた人物がひとり
坂田(仮名)
日本赤軍との接触は確認されていないが、
学生時代、大学寮の賃上げ反対運動に参加
公安のリストに名前が載っていた
勤務態度もよく、真面目で人付き合いもよく問題が見当たらない
 
1996年、赤軍逮捕の指令から5年
ある日、坂田の行動に変化があらわれた
お盆や年末年始などの休みのたびに何度も中国への渡航を重ねるように
坂田の視察レベルをあげた
さらに不審な行動が見受けられた
度々、銀行でドイツマルクを買い求めている
そして尾行を続けているうちに、
かつて公安がマークしていた左翼系の集会にも参加した
情報を提供してくれるだけでなく捜査官の
思い通りに行動してくれる協力者(作業玉)に依頼
1997年、作業玉から情報が入った
坂田は1991年に結成された日本赤軍の
活動を支援するナンバー2だという
しかし日本赤軍との接触は見受けられない
 
2000年5月末、坂田は銀行のATMで現金の振り込み作業を行っていた
同じ光景は翌月も続いた
そこで面を動かさず180度以上 手の動きが
見える公安捜査官の横目技術により
坂田が振り込んでいる先を割り出した
振込先は とあるマンションの管理会社だった
そして振り込んでいたのは、その会社が
管理するマンションの401号室の賃貸料であることも確認
追求班は401号室とマンションの玄関が
見渡せる向かいの部屋を視察拠点とし、
出入りする人物を24時間 カメラでチェック
だが、どれだけ待っても誰も現れない
張り込んでから10日が経った日、坂田が現れた
続いてすぐ薄いサングラスをしてバッグを持った女性が現れた
しばらく観察すると、坂田はその女性に
何度となくペコペコと頭を下げている
「重信房子!」
日本赤軍リーダー:重信房子 本名:奥平房子
明治大学在学中、学生運動に参加
赤軍派と呼ばれる過激派に加わったが、
内部での争いに嫌気がさし、1971年、
仲間と共に日本を脱出、中東の地で日本赤軍を結成した
撮影された画像は、警察庁のZERO本部にも送られた
すぐに顔認証分析が行われた
結果、本人の可能性が限りなく高いと判明
作業玉から情報が入る
重信はパイプを吸うように手の平を上に向けてタバコを吸う
尾行を始めて10日、本人と断定する証拠を掴めなかったが、
ようやくタバコを吸った
そうパイプを吸うように手の平を上に向けて
その瞬間、追求班 全員が確信した
残された確認は指紋確認
 
2000年11月7日、缶コーヒーを飲みながら重信が外出
捨てた缶コーヒーを回収、鑑識課によって指紋を採取
2000年11月7日 午後6時、高槻市のホテルにチェックイン
2000年11月8日 午前2時、指紋の一致が認められた
「明朝 チェックアウトを待って被疑者を確保せよ」
逮捕を任されたのは、同じ公安でも謙虚班と呼ばれる捜査官たち
2000年11月8日 午前10時、重信房子 逮捕

(8305)

悪徳商法評論家:多田文明によると
「お金 貸します」というDMが、大手銀行や消費者金融、
闇金など 様々なところから送られてくる
中には詐欺グループからのDMも混ざっている
 
電話をすると「住所どこ?」などの個人情報を聞かれる
そして「いくら借りたいんですか?」と額を聞かれる
「20万円 借りたいです」と伝えると「審査します」
すると「審査が通りました。20万円を貸せだせます」
「あなたへ対する信用実績が無いので、うちとの信用実績を作ってくれるために2万円振り込んでください。のちほど22万円 融資します」
 
・結果1:振り込まれない詐欺
22万円が振り込まれなく2万円の振り込み被害で終わるケース
 
・結果2:詐欺のステージアップ
振り込まれないので電話をかけると
「あなたはブラックリストに載っている。信用情報機関にデータ抹消するお金を支払わないと貸し出せません。20万の希望でしたが、データ抹消用のお金を込みで50万円お貸ししますよ」

(192)

●元警視庁捜査一課:鈴木公一が語る3億円事件
事件が起きたその日、
殺人事件担当だった元警視庁捜査一課:鈴木公一も緊急出動した
1968年12月10日午後1時30分(事件発生から4時間後)
府中警察署に特別捜査本部設置
3億円の重さを体で感じるため同じ形の
ジュラルミンケースが捜査本部に運び込まれた
ジュラルミンケース1個の重さは29.4キロ、それが3ケース
冬のボーナス4523人分の茶封筒が3つのケースに分けられ詰め込まれていた
正確な金額は2億9437万5500円
 
●犯人が残した遺留品は全部で153点
白バイに見せかけたオートバイは青いバイクに塗装を施したもの
後部座席の書類入れは、クッキーの空き缶
サイレンスピーカーは運動会などで使うトランジスタメガホン
赤色灯は市販されていたストップランプ
 
●捜査員がまとめた不良少年のリスト
グループごとに拠点となる地名がつけられていた
福生署管内 赤線を中心とする非行少年グループ、新宿紀の国屋2期生…
中でも3億円事件と同じ手口の事件を起こしたグループが立川窃盗グループ
1968年3月3日、客を装った若い男が
ダイナマイトに見せかけた発煙筒で店員を威嚇し、
従業員が怯んだ隙に12万円(現在の価値で80万円ほど)を奪った「いなげや事件」
鈴木公一は徹底的にこの立川窃盗グループを洗うべきと主張
立川窃盗グループは三角窓を壊して車を盗む
3億円事件で使われた盗難車も同じ手口で盗まれていた
 
●立川窃盗グループの実態
仕事している者は少なく、恐喝、泥棒、親のすねかじりで生きていた
少年は立川窃盗グループのリーダー的存在
3億円事件の3か月前、青梅のボーリング場での恐喝事件で逮捕
鑑別所から荒川の保護施設に移送中 脱走し、その後 行方不明となっていた
12月16日午前2時ごろ、少年は自殺した
 
●2度に渡る少年の面通し
鈴木公一には知らされず、上司の指示により
犯人の顔を見た日本信託銀行員が
監察医に変装し少年の面通しを家族に悟られないよう行った
少年の顔を見た銀行員は小さくOKサインを出した
さらに鈴木公一も銀行員4人を伴い
家族に知られないように通夜客に交じり面通しを行った
痩せ具合が良く似ている95%、
口から鼻が似ている80%、眉の生え際が似ている90%…など
 
●立川グループと少年の足取り
11月30日夕方6時ごろ、少年は
福生のバー「あんず」を訪れ、一旦いなくなり深夜2時ごろ再び戻っている
この空白の8時間、少年はグループの誰とも接触していない
この空白の時間帯に事件に使用された車が盗難されている
12月3日~6日までの間は立川グループの仲間と遊んでいた
しかし事件の12月10日と前日の9日だけ少年の足取りはつかめていない
12月11日、福生のバー「あんず」で豚足を食べていた
「スナックをやりたい。金は家に頼んで出してもらう。名義は母親にして…20歳くら
いまで逃げるだけ逃げて、自首すれば刑事処分を受けて執行猶予で出る」と仲間に語っ
ている
12月14日21時過ぎ、少年は馴染みの喫茶店に顔を出している
 
●少年の父と面会
鈴木公一は少年の父と面会した
「なぜ少年は死ななければならなかったのか?」
「あの日、何が起きたのか?」など問うた
しかし少年の父はずっと押し黙ったまま
 
●立川グループの溜まり場 福生のバー「あんず」
マスターのF氏は立川グループの中で兄貴分として慕われていた
F氏は事件後 福生から姿を消し、フィリピンに渡り、クラブを経営し成功していた
 
●事件後、金持ちになったY氏
事件前夜、新宿の男性の家に泊まった、と少年のアリバイを証言したY氏
事件から数年後、新宿を離れ、Y氏が購入した港区の高級マンション
そして新宿の高級マンション、ハワイのコンドミニアムも次々と購入している
Y氏を知る人物によると
「今思うとあれだけのマンションをどうやって買ったのか不思議だった」
 
●Y氏の証言
1968年11月上旬、新宿にあった24時間営業の喫茶店:シローで少年と出会った
少年は「お腹が減ってるんだ」と言ったので、
アパートでご飯を一緒に食べ、そのまま泊めて揚げた
それ以来、何度か家に泊めてあげたことがあった
3億円事件から1週間ぐらい経ったころ、少年の母親が訪ねてきた
玄関先で「あなたのせいで息子がこんな事になった」と怒っていた
母親は「息子の荷物が置いてあるなら持って帰りたい」と言ったので
以前、少年が入れて持ってきていたズボンやシャツを母親に返した
母親の話で初めて少年の死を知った
少年は父親にすごく反発しているようだった
当時悪心塾は大学生が暴れていた
歌舞伎町では、みんなお金を稼ぐのに必死だった
マンションを買って売って、その差額でプラスになった事もあった
Y氏は新宿を離れて以来、仕事は何もしていないという

(1657)

3億円事件を追いかけてきたジャーナリスト:近藤昭二が語る
●今だから話せる3億円事件の真相
1968年12月10日、東芝府中工場のボーナス約3億円が強奪された
ボーナスを運搬していた現金輸送車に白バイ警官に扮した犯人が接近
現金輸送車を停止させ、
「車にダイナマイトが仕掛けられている」
と運転者らを車から遠ざけた
そして現金輸送車の下に発煙筒を焚き、
ダイナマイトだと偽装して車を強奪
当時、犯人のモンタージュ写真も作成され、
警察官延べ17万人、捜査費用9億円を投じた大捜査
事件から44年経った今でも犯人が見つからない戦後最大の未解決事件
1975年12月10日、公訴時効(刑事事件の時効)が成立
1988年12月10日、民事時効が成立
 
●モンタージュ写真はモンタージュではない
目撃者の証言から目や鼻、口などを
合成して作り上げたモンタージュ写真と言われているあの写真
しかし、それはモンタージュではない
それはある実在の人物の顔写真
捜査本部の刑事たちもモンタージュ写真と疑わなかった
警視庁の捜査担当者を取材している時に
近藤昭二氏は捜査資料のファイルに謎の顔写真を発見
捜査担当者が席を立った隙に複写
そこにはモンタージュ写真の人物と同一人物が写っていた
モンタージュ写真そっくりの男の写真は、
何からの事件の被疑者写真だった
近藤昭二氏はその男を全国追いかけ、
3億円事件が起きた府中のそば、調布在住だと突き止めた
モンタージュ写真そっくりの男は、
3億円事件の1年半前に死亡していたことを知る
 
●なぜ3億円事件の前に死亡した男の写真がモンタージュに使われたのか?
モンタージュに使われた理由は事件5日後に自殺した19歳の少年
少年は府中管内の第八方面交通機動隊の幹部の息子
現金輸送車の運転手たちに疑いのある人物の写真を複数見せたところ、
全員が自殺した警察幹部の息子の写真を犯人に似ていると選んだ
モンタージュにされた男と自殺した少年は良く似ていた
警察幹部の息子の写真は使えないので、
そっくりさんをモンタージュと称し使われたいたのだと思われる

(2042)

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