重信房子を逮捕した公安「ZERO」

公共の安全を維持するために警察内に設けられた公安
各都道府県の警察に存在し、
事件が起きてから捜査するのではなく
テロなど日本の安全を脅かすような大事件を
未然に防ぐために危険な団体の動きを日々追跡している
公安の捜査内容は機密性が重視されることから
全てが解決しても明らかにされない
そんな公安の中で特に秘密性の高い捜査を行う組織が、ZERO
もちろん通称、そんな名前の部署があるわけではないとされる
ZEROは警察庁 警備局という部署に存在するという
 
1991年夏、大阪府警本部の近くにある雑居ビルの302号
倒産した企業から大阪府が買い取ったビルの1室
招集がかかったのは大阪府警の公安課に属する6人の捜査官
「一度しか言わない。上から指令が下った。日本赤軍を日本国内で逮捕せよ」
学生運動から派生した過激派集団の日本赤軍
多数の無差別テロ事件を起こしていた
「日本赤軍の幹部が密入国している可能性があるとの情報が入った」
1991年に勃発した湾岸戦争
多国籍軍が入ってきた中東は、
日本赤軍の潜伏先として最適な場所ではなくなっていた
そこで新たな活動拠点として警察が睨んだのは日本
日本政府は日本赤軍幹部の帰国を極めて恐れた
捜査の拠点となったのは、日本赤軍の支援者が多い大阪
「日本赤軍の支援者になりそうな人間を徹底的に視察しろ。これまで視察しなかったような人間まで徹底的にすべて突き上げろ。君たち追求班にかかっている」
不審な人物を匿っていないか?膨大な数の候補者を徹底的に見張った
視察した数は、数百人にのぼる
そして、その中から浮かんできた人物がひとり
坂田(仮名)
日本赤軍との接触は確認されていないが、
学生時代、大学寮の賃上げ反対運動に参加
公安のリストに名前が載っていた
勤務態度もよく、真面目で人付き合いもよく問題が見当たらない
 
1996年、赤軍逮捕の指令から5年
ある日、坂田の行動に変化があらわれた
お盆や年末年始などの休みのたびに何度も中国への渡航を重ねるように
坂田の視察レベルをあげた
さらに不審な行動が見受けられた
度々、銀行でドイツマルクを買い求めている
そして尾行を続けているうちに、
かつて公安がマークしていた左翼系の集会にも参加した
情報を提供してくれるだけでなく捜査官の
思い通りに行動してくれる協力者(作業玉)に依頼
1997年、作業玉から情報が入った
坂田は1991年に結成された日本赤軍の
活動を支援するナンバー2だという
しかし日本赤軍との接触は見受けられない
 
2000年5月末、坂田は銀行のATMで現金の振り込み作業を行っていた
同じ光景は翌月も続いた
そこで面を動かさず180度以上 手の動きが
見える公安捜査官の横目技術により
坂田が振り込んでいる先を割り出した
振込先は とあるマンションの管理会社だった
そして振り込んでいたのは、その会社が
管理するマンションの401号室の賃貸料であることも確認
追求班は401号室とマンションの玄関が
見渡せる向かいの部屋を視察拠点とし、
出入りする人物を24時間 カメラでチェック
だが、どれだけ待っても誰も現れない
張り込んでから10日が経った日、坂田が現れた
続いてすぐ薄いサングラスをしてバッグを持った女性が現れた
しばらく観察すると、坂田はその女性に
何度となくペコペコと頭を下げている
「重信房子!」
日本赤軍リーダー:重信房子 本名:奥平房子
明治大学在学中、学生運動に参加
赤軍派と呼ばれる過激派に加わったが、
内部での争いに嫌気がさし、1971年、
仲間と共に日本を脱出、中東の地で日本赤軍を結成した
撮影された画像は、警察庁のZERO本部にも送られた
すぐに顔認証分析が行われた
結果、本人の可能性が限りなく高いと判明
作業玉から情報が入る
重信はパイプを吸うように手の平を上に向けてタバコを吸う
尾行を始めて10日、本人と断定する証拠を掴めなかったが、
ようやくタバコを吸った
そうパイプを吸うように手の平を上に向けて
その瞬間、追求班 全員が確信した
残された確認は指紋確認
 
2000年11月7日、缶コーヒーを飲みながら重信が外出
捨てた缶コーヒーを回収、鑑識課によって指紋を採取
2000年11月7日 午後6時、高槻市のホテルにチェックイン
2000年11月8日 午前2時、指紋の一致が認められた
「明朝 チェックアウトを待って被疑者を確保せよ」
逮捕を任されたのは、同じ公安でも謙虚班と呼ばれる捜査官たち
2000年11月8日 午前10時、重信房子 逮捕

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