言葉/語源/由来」カテゴリーアーカイブ

●日本と呼ばれるようになったワケ

中国から見て日本は東、日の出に当たる国にあるので

日出る国(ひいずるくに)と呼ばれていた

そこから日の本にある国なので日本と名付けられた

1400年前、中国の唐時代に書かれた書物には、

すでに日本の文字が書かれている

当時の日本人は、「にほん」や「にっぽん」ではなく「やまと」と呼んでいた

 

●鮭がサケと呼ばれるようになったワケ

他の魚と比べて、身がさけやすいからサケという名になった

(353)

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同じことの繰り返しで、らちがあかない様子を表現した「いたちごっこ」

●いたちごっこの語源は、江戸時代に流行った遊び

いたちごっこ!ねずみごっこ!いたちごっこ!ねずみごっこ!…

と唱えて、交互に相手の甲をつねづだけの子供の遊び

両者がずっと同じことを繰り返している、その様子から、

らちがあかないことをいたちごっこと呼ぶようになった

 

●文字を書く練習に使ったことが名前の由来になった もんじゃ焼き

もんじゃ焼きは、鉄板の上で自由に形を変えられる

幕末くらいに小麦粉を溶かしたものを鉄板に垂らし、

文字などを書いて作ったお菓子があった

それは文字焼きと呼ばれ、いつしかもんじゃ焼きになった

(306)

●ビー玉のビーの由来は、アルファベットのB

 

ビー玉と呼ばれるガラス玉には2種類ある

キレイで真ん丸な形のガラス玉をA玉

いびつな形や傷物のガラス玉をB玉と呼ばれていた

 

ラムネに入っているガラス玉は、

瓶の栓になるので歪みのないA玉を使っている

 

B級品のB玉は、駄菓子屋などでおもちゃとして売られたため、

いつしか丸いガラス玉を全般的にビー玉と呼ぶようになり、それが広まった

(409)

へそくりの平均額は

男性が149万円なのに対し、女性は238万円

 

●「へそくり」の「へそ」とは?

 

「へそ」とは、麻糸をグルグル巻きにした物

へそくりは、綜麻繰りと書く

 

昔、着物などの衣類は、木綿ではなく麻だった

お金に困った妻たちは、麻糸を紡ぐ内職でお金を蓄え、

「へそ」を繰って蓄えたお金を「へそくり金」と呼ばれた

それが略されて「へそくり」となった

(334)

昨日の前の日を表す一昨日は、

おととい、おとついとも読む

 

●一昨日の読みが「おととい」と「おとつい」に分かれたワケ

 

全国で近畿・中国地方の約87%が、おとついと読んでいる

元々は、おとついが使われていたが、

平安時代以降に、おとといに変化した

 

おとついの語源は、遠方の日

(412)

罪を犯すときの表現 手を染める

悪いことをやめるときの表現 足を洗う

●悪事を始めるときは手を染めるなのに、やめるときは足を洗うワケ

手を染める 足を洗うは、言葉の成り立ちが全く違う

 

手を染めるは、元々 手を初める(そめる)と書いていた

悪事を始める意味に限定されておらず、物事を始めることだった

染まった手はなかなかキレイにならない

→一度手を染めるとなかなか抜け出せないということで

段々 悪事限定で使われるようになった

 

足を洗うは、お坊さんの行動に関係している

修行僧が裸足で外を歩いた後、

足を洗って建物に入ることを足洗いという

それは単純に足をキレイにするという意味だけではない

汚れた足を洗うことで俗世間の煩悩を洗い清めている

修行僧が足を洗って煩悩を断ち切ることから、

これまでの生活や関係を断ち切る意味になった

(628)

安くて美味しいものが多いことから
食い倒れの街と呼ばれる大阪だが、
●元々、食い倒れは、杭倒れだった
 
古くから水路が多かった大阪は、街の至る所に橋が架けられた
橋のほとんどが、商売や生活に欠かせない町人が自腹で架けた橋
そのため橋の建設や修繕費が大きな負担となり、
橋(杭)を立てるだけで破産するものもいたことから
元々は杭倒れと言われていたが、徐々に食い倒れと変化した

(716)

薬の黒い歴史
●頭痛薬が開発される15世紀から16世紀まで
頭痛を焼きごての火傷の痛みで紛らわせようとしていた
 
●便秘薬が開発される16世紀から19世紀まで欧米では水銀を便秘薬として使用していた
水銀は、見た目が銀色で神秘的
英語でMercury(マーキュリー)と呼ばれている
ローマ神話の神様の名前
世の物質で神様の名を貰ったのは、水銀だけ
毒性を持つ水銀を飲むと消化器官が機能しなくなり、
食べたものが体内に吸収されず排出されるため、
水銀が下痢に効いていると勘違いしていた
 
●傷薬が開発される19世紀までヨーロッパではヒ素が使われいた
傷口にヒ素を塗ると、その部分が壊死する
当時、壊死することで傷が治ったと思われていた
さらに壊死した部分は、白くなるのでヒ素が美容クリームとして使われていた
塗るだけでは飽き足らず、ヒ素をパンに塗って食べていたという
 
●18世紀のイギリスでは、タバコの煙を溺れた人のお尻に入れていた
タバコの煙が呼吸器系に影響を与えると考えられていた
 
●古代中国で不老不死の薬として流行した無精神薬 五石散
五石散を飲んで体が熱くなることを散発という
熱が出れば五石散が効いている証拠だが、熱が出ないと死んでしまう
五石散を飲んで、熱を出すために歩いたことから散歩という言葉が生まれた

(517)

●東京 自由が丘の地名の由来は、自由ヶ丘学園
 
昭和2年、自由教育を掲げた教育者 手塚岸衛が、
自由ヶ丘学園の設立した
その碑は、Peacookの駐輪場にある
 
昭和4年、この地にあった九品仏前駅が
名称を変更することになった
当時、ここ地名は、衾村
通常なら新しくできる駅名は、衾駅になるはずだったが、
手塚の自由教育に賛同するヨーロッパ帰りの
文化人たちの訴えで、駅名が自由が丘駅に決定
昭和7年、地名も自由が丘に変更した

(351)

お茶は、緑色なのに
●ブラウンを茶色と呼ばれるワケ
 
茶色という言葉ができた時、
少なくても庶民が飲んでいたお茶は、
緑色ではなく茶色だった
 
永谷宗円がホイロで乾燥しながら
手で揉む青製煎茶法を発明して
庶民が緑色の煎茶を飲むようになったのは、江戸時代から

(219)

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