宗教/神社仏閣」カテゴリーアーカイブ

●香典の香は、線香を意味する
仏教では、死者は線香の香りを食べると考えられている
 
それは4~5世紀の北インドの高名な僧侶 世親の俱舎論にある
そこには、人は死後生まれ変わるまでの
四十九日の間、香を食す、と記述されている
 
線香は、高級品であったため香典は元来 米や野菜が一般的だった
それがお金で渡すようになったのは、明治以降
香典を渡すのは、亡くなった方の食べ物をお供えするということ

(151)

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●僧侶、和尚、住職、お坊さんの呼び方の違い
 
出家して仏門に入った人を、僧侶と呼ぶ
僧侶とは、仏門修業をする集団を指す古代インドの言葉ソウギャが語源
 
修業を積んで一人前になった僧侶を和尚という
仏門に入ったばかりの僧侶の敬称を法子という
 
寺を代表する僧侶を住職という
 
昔、僧侶が寺で暮らす建物を坊と呼んでいた
その坊で僧侶の生活を管理 指導する僧侶を坊の主、坊主と呼んでいた
この坊主が、お坊さんのこと
現在では親しみを込めて僧侶を呼ぶときにお坊さんが使われている

(268)

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」
イエス・キリストが処刑される前夜、十二使徒と共にとった夕食で
キリスト教の新約聖書に記述されている
聖書によると「これは私の体である」と
弟子たちにパンをちぎって分け与えた
 
このパンが一因で、キリスト教の分裂を引き起こした
 
●最後の晩餐のパンを巡ってキリスト教が1000年も言い争っていた
 
かつて奴隷状態だったユダヤ人が、
エジプトを脱出したことを記念する過越祭
過越祭の期間は、酵母の入っていないクラッカーのようなパンを食べて過ごす
 
カトリック教会を含めた西方教会は、
最後の晩餐が過越の期間で行われたものと考え、
パンには酵母が入っていないと主張、
一方、東方教会は、最後の晩餐が過越前であると解釈し、
パンには酵母が入っていたと主張
 
この主張の違いが一因となり、
1054年、キリスト教会が2つに分裂する歴史的な事件が起こった
そして2016年2月、双方のトップが和解に向け、962年ぶりに会談した

(1453)

●木魚は、もともと魚の形だった
 
300年の歴史を誇る海宝寺には、
魚の形をした木魚の原型がある
 
一説によると、日本に伝わったのは、室町時代
 
当時は起床や集合を知らせるために
使われていたので、外に吊るされていた
 
その音は、それほど良くない
より良い音にするため、丸い形にし
床に置くようになったでは、と考えられている

(296)

●鳥居を赤く塗るのは、腐食を防ぐ意味もあった
鳥居の赤い成分には、水銀の化合物が含まれている
水銀の化合物(辰砂)には防腐作用があり、
それを塗ることで木が腐らないようにしている
 
他にも信仰的な理由で赤くしている鳥居もある
 
厳島神社の大鳥居が水に浸かっても腐りにくいのは、
赤い塗料の防腐効果だと言われている
 
●神社にイチョウの木が多いのは、火災から守るため
イチョウの木は、多くの水分を含んでいるため、
防火林の役割があるとも言われている

(502)

●空海が堀った冥界に続く井戸
 
唐から帰国した空海は、平安京を訪れた
そこで疫病や飢饉で苦しむ人々を目の当たりにした空海は、
唐から持ち帰った技術で井戸を掘った
そして苦しむ人々のために日々祈祷した
 
釘抜地蔵 石像寺(京都市上京区)には、
空海が掘ったと伝わる井戸が残り、
今もこんこんと水が湧き出ているという
古来、井戸の底は、冥界につながると信じられていた
 
井戸があるのは、境内一番奥にある墓地の中

(931)

●キリスト教のカトリックとプロテスタントの違い
昔、キリスト教はカトリックしかなかった
カトリックのやり方に対して、
プロテスト(抗議する、抵抗する)して生まれたのが、プロテスタント
プロテスタントとはカトリックのやり方に抗議する人
 
●神父と牧師の違い
カトリックの神父は、神様と人間の間に位置する
プロテスタントの牧師は、人間と同じ立場
牧師の牧は、牧羊犬の牧、迷える羊たちを導く人
全ての人は、神の前に平等である、という考え方
みな平等なので牧師同士に階級はない
一方カトリックの信者には、位階という階級制度がある

(213)

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