創始者は、菊池和子
きくち体操の最大の目的は、
寝たきりや車いすに頼らない死ぬまで自分の足で歩くための体作り
 
●足首回し
1、片足を膝の上に、手と足の指を絡める
2、1回転 約8秒でゆっくりと足首を回す
全身の筋肉とつながっている足の指を動かすことで全身が活性化する
 
●足の指握手
1、2人で足の指を絡めて握手
2、ひざを曲げて行う
3、肘を振り、肩甲骨を動かす
1セット40秒×3行う
 
●猫背 四十肩にオススメ
1、四つん這いで両肩を内側にひねる
2、体重を腕にかけ、お腹を持ち上げる
 
●ゆっくり腹筋
1、腹筋は繰り返すのではなく1回をゆっくりと行う
2、背筋を伸ばした状態で静止
 
授業では、休みなしで90分、身体を動かす

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昔は目上の人の前で正座の習慣はなく、あぐらで座るのが一般的だった
●目上の人の前は、正座が正しい座り方と決めたのは、徳川家光
1635年、徳川家光は、参勤交代と天下普請を発令
全国の諸大名に謀反を起こす財力を蓄えさせないための政策を行った
その心配は、身近な家臣まで疑うようになる
 
家光は、家臣にあぐらではなく危座をするように命令する
危座とは、当時の罪人たちの座り方で、現在の正座と同じ
長時間 座らせて苦痛を与え、罪を白状させるための座り方だった
家光は、幼い頃、春日局に叱られたときに危座をさせられ、
足がしびれて上手く立ち上がれなかったことを思い出す
 
家光は、家臣の足をしびれさせて自分を襲えないようにするため、
危座を正しい座り方にした
表向きは、正座の方が、あぐらよりも背筋が伸びて
美しく見えるという理由で正しい座り方を正座と決めた
 
家光の前で危座をするのが当たり前になると
次第に武士たちは目上の人にも危座をするようになった
 
危座が、正座と改められたのは、明治時代
危座は印象が悪いということで、
正しい座り方、正座と呼ぶようになった
その後、正座は学校教育にも取り入れられ、
目上の人の前では正座をするのが一般的となった

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●国会では議会の規則によって「君」づけで呼ぶことが決まっている
議員は互いに敬称を用いなければならない、
と衆議院要覧に記載されている
さらに、議員は議場、又は委員会においては、
互いに敬称として「君」を用いる、と参議院先例録に記載されている
したがって衆議院も参議院にならって敬称として「君」づけをしている
明治23年、日本で初めて行われた第1回 帝国議会でも、
すでに「君」が議員の敬称として使われている
 
●「君」づけが敬称として使われるようになったのは、吉田松陰がきっかけ
吉田松陰は、幕末、松下村塾で明治維新で活躍する若者を指導した教育者
江戸時代、農民、商人、武士と身分制度がはっきりとしていた
松下村塾の塾生には、そうそうたる顔ぶれがそろっていた
農民出身しながら後に初代内閣総理大臣になる伊藤博文、
下級武士出身で、第3代、第9代と2度も内閣総理大臣を務めた山形有朋、
外国軍や幕府軍と戦うために奇兵隊を創設した武家出身の高杉晋作、
尊王攘夷のリーダー的存在となった医師の久坂玄瑞など
幕末から明治にかけて新しい日本を築いた若者が多く在籍していた
当時、松下村塾には、武家出身の者から農民出身の者まで
様々な身分の若者たちが集まっていた
そのため対等な立場で議論すべき時も、
身分差によって下の者が上の者に配慮してしまう
目上の者から目下の者へは「殿」、
目下の者から目上の者へは「様」と
身分の違いによって敬称が分かれていた
そこで吉田松陰は、対等に議論させるために
身分差に関係ない新たな敬称「君」を作った
「君」の由来は、「君主」や「主君」の「君」
そして吉田松陰が多くの塾生を呼びかける時は、
「諸君」と呼ぶようになった
 
また一人称の「僕」も吉田松陰が流行らせた
「僕」は「しもべ」とも言い、
周囲に対して自分がへりくだっているという意味がある
吉田松陰が、自分をへりくだっていう言葉として使いだし、
松下村塾内で流行し、明治の代の中で徐々に意味が変わり、
現代のような使い方になった

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味が完成したウスターソースの色は、実は茶色
カラメル色素で黒く着色している
 
諸説あるが、ウスターソースは、19世紀、イギリスのウスターシャー州で
主婦が野菜などを調味料と一緒に保存していたら偶然誕生した
 
糖とアミノ酸が結合して、加熱か時間経過で色が黒くなっていく
メイラード反応という
しかし現在、技術が進み、
野菜エキスなどを短時間で抽出できるようになったため
メイラード反応が進む前に製品が完成してしまう
ソースは黒いというイメージに合わせて、黒く着色している
 
農林水産省が定めるJAS規格でもウスターソースの色を、
茶色、または茶黒色と明記されている

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●人が死ぬメカニズム
1995年に東京理科大学:田沼靖一 教授が発見した死の遺伝子
この死の遺伝子が働きだすとDNAが切断され、細胞の機能が停止し、結果 死に至る
 
●死の遺伝子が存在するワケ
大腸菌やビフィズス菌などのバクテリアには死は存在しない
生物は不老不死と引き換えに有性生殖によって遺伝子を組み合わせる道を選び、
その結果、陸海空の様々な環境に適応して反映できるようになった
 
実は、ウイルス感染や紫外線などによって日常的に遺伝子に傷を負っている
傷は、子孫を残す生殖細胞にも蓄積していく
世代を超えて傷が蓄積すると、種が絶滅する恐れもある
それを回避するために日々傷を負った細胞の消去が行われている
 
●細胞死
ネクローシス(壊死)→外的要因により細胞が破裂し、死に至る現象
アポトーシス(自死)→細胞自ら判断してDNAを切断して死ぬ現象
死んだ細胞は、免疫細胞のマクロファージが食べる
毎日、3000億~4000億の細胞が死んでいる
死ぬ細胞を集めるとステーキ1枚分になる
 
●人の寿命は、120歳が限界
・再生する細胞(皮膚や血液など)の細胞分裂は60回が限界といわれている
DNAには細胞分裂の回数をカウントするテロメアと呼ばれる部分がある
テロメアを使い切ると新しい細胞はできなくなる
テロメアが減る原因は、ストレス、酒、タバコ、孤独など
一方、
・再生しない細胞(神経細胞など)は耐用年数が来ると死んでしまう
再生する細胞と再生しない細胞のどちらかを使いすぎると死んでしまう
  
●がん細胞は、死を忘れてしまった細胞
アポトーシスが正常に作動せず、無限に増殖してしまう病
東京理科大学:田沼靖一 教授は、
がん細胞にアポトーシスを起こさせる化合物を作り、
がん細胞を殺すのではなく、
自ら死んでもらう新しい抗がん剤を開発しようとしている
 
アルツハイマーは、アポトーシスによって神経細胞が早く死んでしまう病
アポトーシスを抑制する薬があれば、根絶できる可能性もある

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心理カウンセラー:五百田達成によると
●さ行から始まる名前は、清潔感があるイメージを与える
「さしすせそ」を丁寧に言うと、
「すぁ」「すぃ」「すぅ」「すぇ」「すぉ」のように
必ず「す」の発音から始まる
「スー」は風が通り抜ける音として認識しているので、
清潔感の印象を持ちやすい
「清潔感」「爽快」「爽やか」「清楚」「清々しい」と全てさ行
 
●濁点がつく名前は、強そうなイメージを与える
濁点は舌や唇を強く弾いて発音しなければいけないので強そうなイメージを与える
小さい頃から「ガンッ」「ゴツンッ」「バッ」の音が刷り込まれているから
男性が買う缶コーヒーの名前は「ボス」「ジョージア」「ワンダ」「ダイドーブレンド」と濁点のイメージを利用している
 
●ら行から始まる名前は、キレイで高根の花のイメージを与える
ら行は、外来語が多く、海外のイメージが強い
海外=かっこいい、華やか、高根の花、キレイ
 
●あ行から始まる名前は、安心感、親しみやすいイメージを与える
あ行は、母音なので、発音される機会が多く親しみ、安心感を与える

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●祝日と祭日の違い
祝日とは、土日以外の休みの日
祭日という休みは、戦前にあったが、現在、祭日という休みはない
祭日を廃止したのは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)
 
●祭日とは、皇室の大切な祭事が行われる日
祭日は明治時代に定められた休みの日
元始祭(1月3日)、孝明天皇祭(1月30日)、春季皇霊祭(3月21日頃)、神武天皇祭(4月3日)、秋季皇霊祭(9月23日頃)、神嘗祭(10月17日)、新嘗祭(11月23日)
GHQは、当時の日本国民の極端な天皇崇拝思想が戦争を悪化させたと判断し、
その思想を取り除くために皇室の祭事に関心を呼び起こす祭日を廃止した
休みの日が減ってしまうので新たに国民からアンケートを取り、祝日を設けた
それが、元旦(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(3月21日頃)、天皇誕生日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)、秋分の日(9月23日頃)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)

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「なすび」は「なす」の方言ではない
●「なすび」の呼び方
ナスは奈良時代に中国から日本に入ってきた
当時はとても貴重な食べ物だったので、
天皇や貴族など身分の高い人しか食べられていなかった
平城京の跡地から出土した木簡には、「奈須比(なすび)」と書かれている
「なすび」の由来は、ナスの味と関係している
当時のナスの味は、酸っぱかったという
「中が酸っぱい実」ということから
「なかすみ」→「なすみ」→「なすび」と呼び名が変化し、
奈須比という漢字があてられた
都があった関西地方を中心に「なすび」という呼び方が広まった
 
●「なす」の呼び方
「一富士 ニ鷹 三なすび」は江戸時代にできたことわざ
これは徳川家康が好きだったモノの順番で、
それくらい家康は、なすびが大好物だった
しかし、ナスは関西地方を中心に作られていたため、
江戸では なかなか手に入らなかった
そこで家康の命により江戸でも ナスが作られるようになり、
次第に「なすび」という呼び名は江戸でも広まっていった
当時は、ナスの生産が少なく値段が高いため、なかなか売れなかった
商人は、ナスを「成す」縁起の良い野菜として
「なすび」を「なす」として売り出した
「なす」に変えたことで商売が繁盛する縁起の良い野菜として
人々が買うようになり、「なす」という呼び名が広まった

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内臓脂肪が基準値の100㎠を超えると、
1、2型糖尿病、高血圧、脂質異常症など生活習慣病を招く危険性がある
 
2、心筋梗塞、脳梗塞などの突然死につながるリスクが高くなる
 
3、ハーバード大学の研究によると、ガンの30%が内臓脂肪が原因
 
4、40歳から内臓脂肪が基準値以上だと認知症になる確率が3倍高まる
 
内臓脂肪が多い人が、水を飲まず脱水を起こすと
心筋梗塞や脳梗塞など血管の重篤な疾患を起こすリスクが高まる

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1901年、京都
アメリカの大富豪ジョン・P・モルガンの
甥:ジョージ・モルガンは芸妓をしていたお雪と出会う
美しい踊りや細やかな気配りに惹かれたジョージは、
その日にプロポーズするも、お雪は断った
その後、ジョージは4年に渡って来日して、プロポーズを続けた
熱意が伝わり、世界的大富豪と芸妓の玉の輿婚が成立
そのニュースは世界中を駆け巡った
 
プロポーズを断っていたのは、お雪には心に決めた男性がいたから
その男性は、京都帝大生の川上俊介
お雪は、川上を献身的に支え、結婚を見据えていた
ジョージの熱烈なプロポーズに困り果てたお雪は、
断る方法を友人の牧野省三に相談
津川雅彦の祖父で、日本映画の父と言われた人物
牧野は、ジョージに諦めてもらうために見受け金を吹っ掛ける案を提案
牧野と相談した金額は、4万円、今の価値で8億円相当
 
「4万円いただければあなたと結婚します」
諦めるかと思いきや「もちろんお支払いします」
ジョージはあっさりと支払ってしまった
これで後には引けなくなったお雪は、結婚を快諾した
 
1907年、2人はフランスへ移住
世界的大富豪の妻としてパリの社交界にデビュー
1915年、ジョージが心臓麻痺で他界
結婚から11年目のことだった
その後、第二次世界大戦が勃発
お雪は、一通の手紙をモルガン一族に送った
“京都を爆撃しないでほしい”と
この懇願が伝わったかわからないが、戦後の祇園では、
お雪のおかげで京都は助かったと語り継がれている

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