●鳥取砂丘は、ボランティアの力で砂丘をキープしている
 
鳥取砂丘は、草むしりしないと草原と化す
その原因は、防風林
 
防風林を造ったことで風が吹かなくなった
風が吹かなくなり、砂が飛ばなくなった
砂が飛ばなくなると鳥などが種子を運び、
草が生えるようになってしまった
 
そこでボランティアを募り、草を抜いて砂丘をキープしている

(9)

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岩盤浴はデトックス効果があると謳う記事や看板が多く見られる
●岩盤浴にデトックス効果は期待できない
 
汗をかいてデトックス効果があるのなら、
汗の中に色々な毒素が混ざっていて臭くないとおかしい
人間は体に溜まった毒素を肝臓と腎臓で解毒し、尿や便で排泄する
汗は基本的に体温調整機能
汗をかいても毒素は排出されないため、
岩盤浴にデトックス効果は期待できない
 
1日にでる汗は、2リットル
その中に含まれる毒素は、0.1ナノグラムで1/100億g
岩盤浴は血流が良くなることで、むくみ解消には効果が期待できる

(5)

●ケーキの「本日中にお召し上がりください」は、当日作ったとは限らない
前日売れ残ったケーキをキレイに再加工して販売している店があるという
再加工の工程は、
乾いたイチゴを外し、表面の生クリームを全て剥がす
生クリームを塗りなおして、新しいイチゴをトッピングする
たった5分で再加工ケーキが完成する
 
ケーキを切った時にスポンジに水分が染み込んで
中の層がくたっと斜めになっていたりするケーキは、再加工の疑いが考えられる
 
食品表示法では、コンビニなどのひとつずつ包装されている菓子は、
賞味期限などの表示義務があるが、
ケーキ屋で売られている包装されていない菓子類に関しては、
消費期限を表示する必要がない

(6)

●新選組は女遊びより男色が流行っていた
近藤勇は、新選組 隊内の男色ブームに気づいていた
“最近 女遊びはまったく 新選組では男色の方が流行っています”と
近藤直筆の手紙に書かれている
 
●近藤勇が美人ではなく地味な松井つねを妻に選んだワケ
25歳で結婚した近藤は、結婚前 お見合いを繰り返していた
文献によると、近藤は、2人の美しい女性との結婚を断っている
3人目の女性が身分の高い御三卿 清水徳川家の家臣の娘だった
容姿は、美人とは程遠い地味な女性
その女性が、松井つねで、文献にも「醜」と書かれている
 
近藤勇が美人ではなく地味な松井つねを妻に選んだのは、
道場に来る弟子が稽古に集中できなくなるから
 
結婚後、つねを江戸に残し、京都で新選組を結成
新政府軍に敗れ、志半ばにして江戸に帰ることになる
その帰還する船の上で、敗戦の悔しさより、
つねと再会できる嬉しさを周囲に語っていたという
この時、銀の指輪をつねに渡したという説もある

(4)

田沼意次は10代将軍 徳川家治に仕えた老中
政治に関心のない家治に代わり、幕府の方針を決定していた
 
元々、紀州出身の貧しい足軽の子供だった
勉学に優れ、8歳で大人顔負けの書を書くなど秀才ぶりを発揮
そして15歳の頃には、ありとあらゆる学問を修得
頭脳明晰な意次は、幕府内でも頭角を現し、将軍 家治から絶大な信頼を得る
 
意次が政治の実権を握っていた当時、幕府はとんでもない財政難
幕府に使える家臣に給料が払えなく、
庶民は物価高で買いたいものも買えなくなっていた
当時の幕府は、国土の開発から役人の給料まで農民の年貢だけで賄っていた
一方、米や醤油、酒などの日用品を取引する商人たちは、
大儲けしているのにもかかわらず税金を取られなかった
そんな状況を解消するため、意次は、商人から税金を取る仕組みを作った
 
●商人課税
米、味噌、酒、塩など大量に売れるものを特定の商人だけに扱わせる仕組み:株仲間
その任命権は、意次が担っていた
株仲間になった商人は、以前にも増して大儲け
その利益から幕府が税金をとる仕組みによって、商人から多額の税金を集めた
 
●大名課税
商人たちからだけでなく地方大名からも税金を徴収
 
●通貨の統一
当時、東と西で通貨がバラバラの状態だった
江戸では金貨、大阪では銀の通貨が使われていた
そのためスムーズな流通が行えていなかった
そこで意次は、全国で使える南鐐二朱銀を発行
南鐐二朱銀8枚で、金1枚と定め、全国に流通させた
すると各地で商売がスムーズに行えるようになり経済が活性化
この仕組みによって、幕府は172万両、現在の価値で1720億円もの黒字に転換
 
さらに意次は改革者としてだけでなく優れた人間性を持ち合わせていた
京都奉行所 与力 神沢杜口によると、自身の出世を謙遜し、下級の家来にまで親切に声をかけるなど少しも権威を誇るところが無かったという
成功したかに見えた改革は、地方大名から大きな反感を買っていた
さらに、1783年 浅間山が噴火、大量の死者が出たことにより疫病が発生
追い打ちをかけるように東北を襲った冷害で天明の大飢饉に
わずか2年ほどの間で天災に見舞われ、一説には全国で100万人の死者が出たという
これで庶民の生活はどん底に
各地の大名だけでなく庶民からも反感を買い、田沼意次は失脚した
意次の財政改革は、全て中止
意次は財産を没収され、屋敷の明け渡しを命じられた
1788年、田沼意次 死去
 
●賄賂政治家のイメージを広めたのは、徳川吉宗の孫
8代将軍 徳川吉宗の孫である松平定信は、意次とはライバル関係だった
意次の失脚後、政治の実権を握った
改革を全否定、意次の悪名を世間に広げたため、それが後世に伝わってしまった
 
出島で日本と貿易していたオランダ人 イサーク・ティチングは、
広く税金を取り通貨を統一した意次の改革を高く評価
田沼が一番日本の将来を考えていた。これで日本の進歩は閉ざされた

(15)

●女癖が悪すぎた勝海舟
23歳で売れっ子芸者だった2歳年上の民と結婚
その後、幕府内で出世し、お金の回りが良くなってくると女遊びをするように
勝が長崎の愛人に贈った和歌が残っている
“鶴が生涯 つがいで過ごすように 私も一生 あなたと添い遂げたい”
朝帰りする勝を自宅で待つ民は、一切 文句を言うことはなかったという
しかし結婚から10年経ったある日、
勝家で働く女中の増田糸と小西かねとの間に授かった子供を預かることに
民との子供4人、愛人2人とその子供2人が一つ屋根の下に住むこととなった
民は、自分の子供も愛人の子供も平等に接した
勝の女癖は、晩年になっても治らず、
さらに他の愛人との間に3人の子供をもうけた
 
●勝海舟の最期と妻の遺言
1899年1月19日、勝は突然 激しい頭痛に襲われた
気付けに生姜湯を持ってきてくれ、と女中で愛人の増田糸にお願いした
しかし生姜が見つからず、ブランデーを飲ませた
この2日後、脳出血により76歳で死去
 
その6年後、1905年、勝を献身的に支えてきた妻:民が最期を迎えようとしていた
死の直前、「一つだけ頼みがあるの…頼むから私の骨は勝のお墓に入れないで」と娘に要望
遺言は守られ、勝の墓がある洗足池のお墓ではなく、青山墓地に葬られた
その後、民のお墓は、勝の墓の隣に移されてしまった

(12)

欧米の侵略に対抗するため1855年、長崎海軍伝習所を創設
軍艦 咸臨丸の艦長として太平洋を横断
1868年3月14日、江戸城無血開城
西郷隆盛と会談し、新政府軍は江戸への攻撃を中止
総攻撃が始まる直前、江戸150万人の命が守られた
1868年、薩摩藩、長州藩が中心となった明治新政府が誕生
勝海舟も旧幕府の代表格として海軍卿などの要職を歴任するも、すぐに辞任
 
●静岡をお茶の大国にするきっかけを作った
徳川家最後の将軍 慶喜と共に静岡県の駿府に移住
100年以上もの間、放置された幕府が
所有していた広大な土地でお茶の栽培を始める
その静岡の牧之原台地は、水はけがよい弱酸性の土質で
温暖な気候が茶の栽培に適していた
以前から勝は農業の知識を商人から学んでおり、
この土地がお茶栽培に適していると見抜いた
このころ江戸幕府が無くなったことで
徳川家に尽くしてきた多くの家臣たちが職を失っていた
そこで勝は、そんな彼らを静岡に呼び寄せ、
仕事を与えることで安定した生活を保証しようとした
 
●新潟で日本最古のワイン醸造所を創設
当時から米作が行われていた新潟では、
度重なる豪雪や洪水などでまともに収穫できない時が多かった
北方村の大地主:川上善兵衛は、そんな厳しい状況を勝に相談した
勝は、痩せた土地でも栽培できる葡萄でワインを作ることを勧めた
勝の助言をもとに善兵衛が新潟に開いたのが、岩の原葡萄園
そこには現存する日本最古のワイン醸造所の石倉が残っている

(6)

●そもそも日本は鎖国をしていなかった
鎖国をしていたと言われる17世紀から19世紀半、
日本は海外との交流を断っていたわけではなかった
幕府は長崎をはじめ、対馬、薩摩、松前で外交窓口を開き、
長崎でオランダ、対馬で中国、薩摩で琉球、松前でアイヌと貿易を行っていた
 
さらにペリーが来航し、開国を求めたアメリカとは、オランダを通じて貿易していた
日本からは金や銀を輸出し、アメリカからは毛皮などを
輸入していたことが明らかになっている
 
江戸幕府の後、政権を担った明治政府は、
急速に近代化を進めるため諸外国の文化を取り入れた
文明開化の時代、その成果を強調するために、
江戸幕府は外国の文化を入れず鎖国をしてきたと教えてきた
昨今の研究で諸外国と交流をしていたことが判明
●そもそも鎖国をしていた時代に鎖国という言葉は使っていなかった
ドイツ人のケンペルが日本の応益などについて書いた論文「日本誌」を
日本人が翻訳した時、本文にあった“今日のように日本国を閉鎖して その国民が国内においても国外においても…”の国と鎖を抜き出して、鎖国という言葉が創作された
 
黒船の武力を誇示して日本に開国を求めたと言われているアメリカ海軍のマシュー・ペリー
●黒船ペリーが来航した本当の理由
事実は、ペリーは、開国ではなく、開港を迫った
その理由は、捕鯨船の水や石炭の供給のため
ペリーが来航する少し前、日本の太平洋側は鯨が大量に生息しており、
良い漁場となっており、アメリカの捕鯨船が日本近海でたくさん操業していた
その安全を確保するために日本に開港を迫った
当時、鯨からとれる鯨油は、ランプなどの燃料として世界中で使われていた

(3)

腎臓がんの場合、4㎝以下の比較的初期のがんに限られる
直径1.5㎜以下の細長い針を使用する
がんの大きさによって針の本数は変わる
針を皮膚の上から直接腎臓のがんに刺す
針の先端は超低温になる
がんに刺して、10分~15分で凍らせたら一度解凍
さらに10分~15分凍らせて、もう一度解凍すれば、
がん細胞を破壊することができる
 
メスを使ってガンを切除するよりも体への負担が少なく、
体力のない高齢者に向いている
通常の手術の場合、最低1週間必要だが、
凍結治療は3泊4日程度で退院できる
保険適用で3割負担の場合、入院費込みで約23万円~

(6)

その立役者は、大津高校サッカー部総監督:平岡和徳
●新入部員に最初に教えるのが、技を覚える前に目と耳を鍛えろ
人の話を真剣に理解しようと心がけ、
見る力、聞く力を養なければ、自分で判断して行動できるようにならない
 
●サッカーが上手くなるためには、まず生活習慣を改めよ
25年前、大津高校に赴任してまず最初に徹底したのが、生活習慣の改善
現在の大津高校サッカー部の部員は、すれ違う人に必ず挨拶かかさない
またサッカー部の部室はとてもキレイに整頓されている
赴任した平岡先生は、部員と一緒に寮や部室の床や壁を雑巾で磨いた
さらに授業をサボりがちな部員は、先生が教室まで引っ張っていき、
授業中に寝ている部員がいたら廊下に連れ出して真剣に叱った
大津高校の渡り廊下には平岡先生の直筆で「凡事徹底」と書かれている
当たり前のことを人並み以上に一生懸命やる、と言う意味
その結果、就任からわずか4年で全国大会出場を果たし、
5年目で全国大会ベスト8まで駒を進めた
 
●感動する心と感謝の気持ち
お世話になった人たちに感謝できるということは、
それだけ心に余裕があるということ
心に余裕があるからこそ成長にも加速力がつく
 
●部員の集中力を高めるために終わりの時間を決める
大津高校の午後のトレーニングの時間は、100分と決めている
長時間練習すると部員は、いかにサボるかを考えてしまう
終わりの時間を決めてメリハリをつける
部員一人一人が、わずか100分でどうすれば
上手くなれるかを真剣に考えるようになる
自分からやるという主体的なトレーニング環境が出来上がった
朝練も強制の学校が多いが、大津高校の朝練は、あくまで自主練習
 
●子供に本物を見せると本気になる
大津高校のOBであるプロが、練習相手や試合を務める
本物を見ることで本気になり、本物に近づく
 
●「もうダメだ」の先にいるすごい自分を意識しろ
苦しい時こそ前に進んでいる実感を得ながら成長していく
 
●大津高校ではキャプテンは1人だが、3年生の全員が副キャプテン

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