●簡単な「一」と「壱」の使い分け
一二三以外にも、難しい漢数字は存在する
一=壱
二=弐
三=参
四=肆
五=伍
六=陸
七=漆
八=捌
九=玖
十=拾
 
先に誕生したのは、一二三四五六七八九十の方
しかし簡単で分かりやすい漢数字は、
一を三に、一を十に改ざんされやすい
そこで改ざん防止のために後から難しい漢数字を作った
法的文書に使用する漢字として法律で定められている
 
●ろくでなしの漢字は、「陸でなし」
平らな様の意味の「陸」を否定している例え

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古来 日本は、刀が生活に密着していたため
単刀直入、つばぜり合い、元のさやに収まるなど、刀由来の日本語が多い
 
●しのぎを削る の「しのぎ」とは刀の側面の高くなった部分
その部分を削るほどの激しい戦いが転じて、激しく競い合い意味になった
 
●焼きを入れる
刀を鍛えるために焼いた刃を水に浸ける
そこから緩んだ気持ちを引き締める意味で使われるようになった
 
●そりが合わない
刀とさやの反り具合が合わないことから転じて、相性が悪い意味になった
 
●土壇場
処刑場の盛り土を土壇場と呼んだことから差し迫った状況をさすようになった
 
●相槌を打つ
相槌は元々 刀鍛冶の師匠が弟子に叩く場所を指図する動作だった
 
●見当違いを表す とんちんかん
刀鍛冶の叩く音のテンポが良いと「とんてんかん」
テンポがズレると「とんちんかん」という間抜けな音になる

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紀伊国坂、芋洗坂、魚藍坂、於多福坂、帯坂、など
東京都心の坂には、やたらと名前がついている
 
●東京都心の坂に、やたらと名前がついているワケ
江戸時代、寺社や大名屋敷、武家屋敷が多い場所には、
町名がなかった
そこで不便を感じた江戸庶民は、坂に名前を付けて目印とした
 
例えば、
紀伊国坂は、坂の西側に紀州徳川家の屋敷があった
弥之助坂は、池上弥之助さんの家の前だった
芋洗坂は、諸説あるが坂下の朝日稲荷の前で芋が売られていたため
帯坂は、番町皿屋敷で有名なお菊さんに由来。お菊さんが、この坂を髪を振り乱して、帯を引ずって走ったことから
於多福坂は、坂の傾斜がお多福面のようだったから
魚藍坂は、坂の中腹に魚籃寺が存在することから

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Bluetoothとは、無線で音楽データなどを通信する機能
Bluetoothと日本語に訳すと、青い歯
 
●無線機能 Bluetoothが、青い歯と名付けられたワケ
 
由来は、北欧のデンマークとノルウェーを無血統一した王様の名前
10世紀の北欧の王様ハーラル王の異名が「青歯王」
ハーラル王には、神経が死んで青くなった歯があり、
その見た目から青歯王と呼ばれた
 
Bluetoothは、北欧の会社が開発した無線機能なので
ハーラル王のようにいくつもある無線技術を統一したいと Bluetoothと名付けた

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●くっついたガムテープを剥がすと青白く発光する
 
摩擦ルミネッセンスという
引き離す、剥がされる、引掻かれる、砕かれる、
擦られるなどによって物質中の化学結合が
破壊された際に光が放出される現象
 
この現象には未解明な部分が残されているが、
電荷の分離、再結合によって発生すると考えられている
 
巻いてあるテープを真空中で剥がすとX線が発生することが、
1953年にソビエトの科学者によって初めて観察された

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紅葉シーズンになると大渋滞になる日光のいろは坂
日光市街と中禅寺湖を通り、全長15.9㎞、高低差440mもある坂
この坂は、元々 中善寺坂という名前だったが、
昭和初期に いろは坂と呼ばれ始め、のちに正式な名前になった
 
●日光のいろは坂の名の由来は、カーブの数
実際に いろは坂を走ってみると1つ目のカーブに「い」、
2つ目のカーブに「ろ」、3つ目のカーブに「は」と看板がある
カーブの合計は、上り下り合わせて48
48といえば、いろは48文字
数が同じなので、いろは坂と呼ばれるようになった
初めに いろは坂と言い始めたのは、ケーブルカーのガイドさん

(7)

●国の中国とは、現在の国名 中華人民共和国の略ではない
中国という言葉は、中華人民共和国ができるはるか昔、
紀元前の頃からあった言葉
それは、中華思想に由来している
紀元前2000年頃に誕生した最古の王朝 夏王朝
その後を継いだ殷、周…
それら王朝は黄河中流域の中原と呼ばれる平原に栄えた
その周辺勢力を蛮、戎、狄、夷などと呼び、
文化の劣った野蛮な人々だとして排除した
自ら文明を夏の中心と名乗り、中華と名付け、
のちに夏は、発音と意味が近かった華に置き換え、中華となった
中華思想とは、自らは文明の中心にいるという考え方
そして中心の国であるため、中国と呼ばれるようになった
 
●日本の地方名の中国は、国の中国と全く関係ない
日本の地方の中国は、平安時代頃から呼ばれるようになった
当時の政治の中心は、京都と太宰府
大宰府は、大陸や朝鮮半島と外交を行う場であり、九州全体を治める西の中心地
京都と太宰府の中間にある現在の岡山県東部、兵庫県西部、
島根県、香川県、徳島県あたりを中間の国、中国と呼ぶようになった
明治に入り、日本を8つの地方に分ける際に
中国地方を現在の山口県、広島県、鳥取県、島根県、岡山県を組み込んだ

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●そうめんの相場は、占いで決められている
 
毎年2月、奈良県桜井市にある日本最古の大神神社の占いで、
三輪そうめんの相場が決められている
奈良時代の大神神社の神主の次男がご祭神のご神意を得て、
そうめん作りを始めたことから、
ご祭神はそうめん作りに携わる人々から崇められている
 
三輪そうめんの相場を占う儀式を卜定祭という
高値、中値、安値の3種類の札を取る
その札がそうめんの卸値になるので業者は高値になるように願う
 
かつて三輪の町には市場があり、穀物の相場を占っていた名残り

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●蕎麦屋にはうどんがあるが、うどん屋には蕎麦がない理由
 
室町時代、うどん屋はあったが、蕎麦屋はなかった
当時は、まだ麺状の蕎麦は存在せず、
蕎麦粉をお湯で捏ねて作る蕎麦掻きが一般的だった
うどん屋は、蕎麦を麺状にしてメニュー化し、
うどんと蕎麦を両方販売し始めた
そんな蕎麦は、江戸時代に入ると次第に人気となり
いつの間にか、うどんより蕎麦の方が人気となり、
江戸中で大流行
すると蕎麦の爆発的人気に乗っかってうどん屋が続々と蕎麦屋に転身
江戸ではうどん屋と蕎麦屋の数が逆転
しかし蕎麦屋になったとはいえ、
うどんのニーズはあったので、
メニューを蕎麦に特化することはなく、
現在のように蕎麦とうどんの両方を出していた
 
昔から続いている蕎麦屋ほど、うどんを出している店が多い
 
現在のうどん屋は、うどんの専門店が多く、
あえて蕎麦を出す必要がないと考えている

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海外の幽霊には足があるが、日本の幽霊には足がない
●日本の幽霊に足がない理由
 
日本で初めて足の無い幽霊の絵を描いたのは、
江戸時代に活躍した絵師 円山応挙
 
中国の焚くと煙と共に死んだ者の姿が現れる伝説のお香 反魂香の図には、
煙で足が隠れているため死んだ者の足は描かれていない
その図は、日本にも伝わっている
 
ある日 円山の枕元に亡くなった妻が現れ、
慌てて描いたので足まで描写できなかったから
その円山の描いた足の無い幽霊画が広まったことで日本の幽霊は、足を無くした

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