週刊誌でよく見かける袋とじ
その歴史は古く、1930年代にイギリスで誕生した
その目的は、現在とは違う
 
最初に袋とじを取り入れたのは、
推理小説「マイアミ沖殺人事件」
推理小説の結末を袋とじにして、
犯人や謎解きを先に読めないようにした
その袋とじには、
“あなたが分かるまでこの紙を破るな 証拠が書かれている”と書かれていた

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板チョコには、四角く区切られた溝がある
この溝は、食べやすいサイズに割るためだけにつけられたものではない
 
●板チョコに溝をつけたワケ
 
明治カカオ開発部:藤原成一氏によると
溝をつけたのは、チョコレートを早く固めるため
板チョコは、液体状のチョコレートを型に流し込み、冷やして固める
溝がなく平面だと中心まで固めるのに時間がかかる
溝を入れると表面積が多くなり、均等が早く固まる

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コーヒーカップやティーカップには、
取っ手がついているのが、一般的だが、
湯飲み茶碗には取っ手がついていない
 
●湯飲み茶碗に取っ手がついていないワケ
 
湯飲み茶碗を手で持つことで、お茶の飲み頃の温度を確認するため
日本茶は、約60℃が適温
湯飲み茶碗を盛った時に、人肌くらいの温度を感じた時が、
お茶の温度が60℃くらいで飲み頃とされている

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奈良公園には、野生の鹿が約1300頭がいる
しかし公園には、本来あるはずの鹿の糞がない
頻繁に掃除をしているわけでもない
 
その理由は、
●奈良公園に鹿の糞がないのは、糞虫が食べてしまうから
糞虫とは、フンコロガシなど糞を食料とする昆虫
 
1300年以上に渡り、多くの鹿が暮らす奈良公園は、
日本で最も多く糞虫が生息している
その種類は、50種類に及ぶ
四季それぞれに活躍する糞虫がいるため
公園が一年中キレイに保たれている

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武闘派として恐れられた独眼竜 伊達政宗
その一方で茶道や脳にも精通していた
さらに料理通の正宗は、トイレ付きの小部屋で毎日
朝夕2時間、トイレに籠り、その日の献立を考えるのが日課だった
正宗自ら炊事場に立ち、料理を作ることもあったという
 
1628年、徳川秀忠を招いた時、
この日のために献立や料理法を練りに練っていた伊達政宗は、
料理を作り、盛りつけ、配膳まで藩主である正宗が一人で行った
 
●現代に伝わる豪勢なおせち料理は、伊達政宗が作った
元日料理とは、現在のおせち料理
当時は、雑煮と数品を膳にした質素なモノだった
これに納得していなかった正宗は、現在の豪勢なおせち料理に変えた
現在では珍しい白鳥や貴重なクジラの肉も使っていた
その献立が、現在の一般家庭に伝わるおせち料理の原型と言われている
 
●ずんだ餅は、伊達政宗が考案した
先代を代表する銘菓 ずんだ餅
一説では、伊達政宗が戦に使う陣太刀で枝豆をすり潰したことから、
「じんだ」転じて「ずんだ」になったと言われている
 
●伊達政宗は、眼帯をつけていない
正宗が眼帯をつけている姿を初めて描いたのは、1942年の映画「独眼竜政宗」
この映画から伊達政宗のトレードマークが、眼帯になった

(4)

東京医科歯科大学 上村公一 教授によると
人間の顔にはたくさんのパーツがあり、
その中で親に似やすいパーツと似にくいパーツがある
似やすいパーツは、大きく分けて目、鼻、アゴ(輪郭)の3つ
親と顔が似ている人は、その3つのパーツが似ており、
親と顔が似ていない人は、その3つのパーツが似ていないこと
 
目、鼻、アゴ(輪郭)は、骨で出来ている
骨の構造は、親から遺伝しやすい
 
親に似にくいパーツは、頬や唇
このパーツは、骨ではなく筋肉で出来ている
頬は、食べ方や噛み方で筋肉の付き方が変わる
唇も呼吸の仕方で形が変わる
子供の頃、顔が似ている親子であっても
月日が経てば経つほど徐々に似なくなっていく可能性がある
 
●男の子は母に似て、女の子は父に似る、は、科学的根拠がない
それぞれ目、鼻、アゴが、父に似るか、母に似るか、その確率は半々

(3)

客を呼び込むために店の前に盛り塩を置く風習は、
2200年前、秦の始皇帝の逸話が関係している
 
一代で中国大陸を統一した始皇帝は強大な権力を持っていた
始皇帝が住む都 咸陽には、
始皇帝の身の回りのお世話係として3000人もの女性が住んでいた
始皇帝は空いた時間があると女性たちの家を牛車に乗って訪ねていた
女性たちは始皇帝に来てもらうために服を着飾ったり
楽器を弾いたりして必死にアピールしていた
そんな中、なかなか始皇帝に来てもらえない女性が、
牛の大好物の塩を家の前に置いた
牛は塩を舐めるのに夢中になって動かず、始皇帝は目の前の家に訪ねて来た
 
その後、盛り塩を置くことで
これまで来てくれなかった始皇帝が来てくれたという逸話が
中国全土に広まり、それがいつしか店の前に盛り塩を置くことで、
これまで来なかった客が来てくれると言われるようになった
 
奈良時代に日本に伝わり、現在でも客を呼び込みたい店では盛り塩を置いている

(11)

●みたらし団子は、鎌倉時代に京都で誕生した
京都の下鴨神社にある御手洗池は、
古来より池の水で手や足を洗うと無病息災のご利益がある神聖な池とされる
御手洗池の地下からは水が湧いており、たまに泡が湧き出てくる
それを見ることができるととても縁起が良いとされていた
鎌倉時代、醍醐天皇が御手洗池で手を清めていると、泡が湧き出てきた
一つ見るだけで縁起が良いとされる泡が、さらに4つ続けざまに湧き出、
合わせて5つの泡が出てきた
古来より下鴨神社は神へのお供え物として団子を奉納していた
元々は、串に刺していない一つ一つの状態だったが、
この縁起が良い出来事にあやかりたいと
5個を串に刺した状態でお供えするようになった
その後、5個刺しの団子を境内の茶店で売るようになった
 
江戸時代、京都で誕生したみたらし団子は、
江戸にも伝わり、庶民に大人気になっていた
その値段は、1串5個で5文、みな一文銭 5枚を出して買っていた
1768年、四文銭が登場
一文銭4枚分の四文銭は、持ち運びに便利だと瞬く間に広がり、
多くの食べ物屋が四文銭1枚で支払えるように
商品を4文で売り出すようになった
みたらし団子も4文で売るようにと要望が続出
1串5個の団子を5文で売っていたみたらし団子を、
損をしないように4個4文で売るようになり、それが定着した
 
●花見団子を作ったのは、豊臣秀吉
1598年、天下を取った秀吉は、
京都の醍醐寺で1300人を招待する大規模な花見を計画
その花見の目玉として考えたのが、誰も見たことがない団子
当時、団子と言えば5個刺しのみたらし団子が主流
秀吉が考えたのは、日本の四季を表現した色鮮やかな三色団子
上から、桜をイメージした春、雪の降る冬、葉が生い茂る夏を表している
秋を抜いたのには、2つの理由があった
食べ飽きない、商いが繁盛するようにと願いを込めて、秋無い
秀吉が作った花見団子は、人気となり日本全国に広まった

(5)

●唐揚げと竜田揚げには、明確な違いがある
鶏肉の印象が強い唐揚げだが、
食材やまぶす粉に決まりがなく、油で揚げたモノ全てを唐揚げという
そもそも日本では、鎌倉時代から油で揚げる調理方法があった
その食材は、野菜や魚介類がほとんどだった
 
●唐揚げ=鶏肉の揚げ物の印象が定着したワケ
昭和7年、銀座にある三笠会館が、
日本で初めて鶏肉を揚げた若鶏の唐揚げがメニュー化された
経営が芳しくなかった時、従業員に何か良い打開策はないかと相談した
1人のコックが、江戸時代に中国から伝わってきた精進料理で
豆腐を小さく切って揚げた料理があるのですが、ご存知ですか?
その豆腐を小さく切って揚げた料理の料理名が、唐揚げだった
コックたちは、新しい揚げ物を作ろうと、当時高価で珍しかった鶏肉を使うことに
鶏肉を揚げた揚げ物を、若鶏の唐揚げと名付けた
若鶏の唐揚げは、たちまち人気となり、
その後、全国に若鶏の唐揚げが広まっていき、
唐揚げ=鶏肉の揚げ物という印象が定着した
 
竜田揚げも食材に関しては、特に決まりはないが、2つの条件が必要となる
1、醤油、みりんで下味をつける
2、片栗粉をつけて揚げる
●竜田揚げは、軍艦 龍田で誕生した
龍田とは、1920年ころに活躍した軽巡洋艦
第一次大戦直後、戦争による食糧不足が深刻化
国から海軍に、安くて美味しい軍の料理を作るようにと命令が下った
海軍が目を付けたのが、当時とても安く手に入ったクジラ
しかし血合いが多いクジラ肉は、すぐに生臭くなる
そこで軍艦 龍田の料理長が開発した調理方法が、
醤油の風味、みりんのアルコールでクジラ肉の生臭さをとり、
さらに粘着性の強い片栗粉をまぶし揚げることで全体にしっかりとした衣をつける
この調理方法によって、クジラ肉の生臭さを感じさせない揚げ物に仕上げた
軍艦 龍田で誕生した揚げ物は、竜田揚げとして日本中に広まり、
次第にクジラ肉以外の食材が使われるようになった

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本場中国の餃子には、ニンニクは入っていない
 
●日本の餃子にニンニクが入っているワケ
 
元々、日本に餃子を広めたのは、
第二次世界大戦後、中国から引き揚げてきた人々だと言われている
最初に日本に入っていた時に使われた肉は、年老いた低品質の羊肉
羊肉の臭いを消すためにニンニクを入れるようになり、
それがそのまま日本で定着した

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