日本で最初に駅伝が行われたのは、1917年
東海道駅伝徒歩競争
そのコースは、京都から東京までの516㎞
ひとチーム 延べ23人でタスキを繋いだ
この駅伝が誕生したきっかけは、明治天皇のお引越し
●駅伝は、明治天皇の東京引っ越しがきっかけで誕生
1868年、明治維新で東京を都として定めた
この時、明治天皇のお住まいも京都御所から江戸城へ移った
これを東京奠都といい、数千人とともに京都から東京まで向かい、
沿道の民衆へ金品を配るなど華々しく行われた
その東京奠都の50周年を記念して行われたのが、日本初の駅伝
関東組と関西組の東西対抗で京都をスタート
昼夜を問わず東海道を走り続け、
最終ランナーがゴールの不忍池に辿り着いたのは、2日後
ちなみに関東組のアンカーでゴールテープを切ったのが、
大河ドラマ いだてんのモデル金栗四三
この駅伝を元に3年後に作ったのが、第1回 箱根駅伝

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●雨のニオイの正体
 
雨の日には、何となく雨のニオイがするもの
 
その匂いをペトリコールという
ギリシャ語で石の香りという意味
1964年にオーストラリア連邦科学産業研究機構の鉱物学者Isabel Joy BearとR. G. Thomasがネイチャーに発表した論文の中で作られた造語
 
特定の植物から生じた油が地面が乾燥している時に粘土質の土壌や岩石の表面に吸着し、雨によって土壌や岩石から放出されることにより独特の匂いが発生する
 
他にも雷によって発生するオゾンや土壌中の細菌が発生させるゲオスミンもにおいの原因とされている

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●関東に白いネギ、関西に青いネギが多い理由
 
関東の地層は、関東ローム層
火山灰がベースなので柔らかい
ネギが深くまで根を張りやすいため、白い部分を使うようになった
 
一方、関西の地層は、花崗岩系なので地層が堅い
ネギは、地下深くまで根を張れないので葉を使うようになった

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●中華料理店の店名に○○軒が多いワケ
 
明治43年、浅草に開店した伝説の中華料理店 来々軒
元々は、○○軒は西洋料理店に使われていた
中華でも人気のある店を作りたいと店名に軒をつけ、来々軒とした
来々軒は、大繁盛した
その人気にあやかろうと後からできた中華料理店は、
こぞって○○軒を名乗った
 
来々軒の商標登録は、第二次世界大戦中に期限切れたため、
来々軒を名乗る中華料理店が日本全国に拡大した

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薬の黒い歴史
●頭痛薬が開発される15世紀から16世紀まで
頭痛を焼きごての火傷の痛みで紛らわせようとしていた
 
●便秘薬が開発される16世紀から19世紀まで欧米では水銀を便秘薬として使用していた
水銀は、見た目が銀色で神秘的
英語でMercury(マーキュリー)と呼ばれている
ローマ神話の神様の名前
世の物質で神様の名を貰ったのは、水銀だけ
毒性を持つ水銀を飲むと消化器官が機能しなくなり、
食べたものが体内に吸収されず排出されるため、
水銀が下痢に効いていると勘違いしていた
 
●傷薬が開発される19世紀までヨーロッパではヒ素が使われいた
傷口にヒ素を塗ると、その部分が壊死する
当時、壊死することで傷が治ったと思われていた
さらに壊死した部分は、白くなるのでヒ素が美容クリームとして使われていた
塗るだけでは飽き足らず、ヒ素をパンに塗って食べていたという
 
●18世紀のイギリスでは、タバコの煙を溺れた人のお尻に入れていた
タバコの煙が呼吸器系に影響を与えると考えられていた
 
●古代中国で不老不死の薬として流行した無精神薬 五石散
五石散を飲んで体が熱くなることを散発という
熱が出れば五石散が効いている証拠だが、熱が出ないと死んでしまう
五石散を飲んで、熱を出すために歩いたことから散歩という言葉が生まれた

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お札には製造年が記載されていないのに
●硬貨に製造年が刻印されているワケ
 
明治時代の初期に発行された硬貨には、
金や銀が使われており、
毎年、硬貨に含まれる金属の量に違いがあった
金属の量が異なると価値も異なる
 
それを明らかにするために
製造年を刻印しなければいけなかった

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●第2回 箱根駅伝で起きた大事件
 
警備にあたっていた警察官 前田喜太平は、
沿道の盛り上がりにテンションが上がり、
選手と一緒に走り出してしまった
現場は大混乱
責任を取り、前田さんは警察を辞職した
 
しかしその後、前田さんは日本大学にを受験
合格した前田さんは駅伝部に入部し、
第6回 箱根駅伝に出場し、2区で区間賞に輝いた

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●東京 自由が丘の地名の由来は、自由ヶ丘学園
 
昭和2年、自由教育を掲げた教育者 手塚岸衛が、
自由ヶ丘学園の設立した
その碑は、Peacookの駐輪場にある
 
昭和4年、この地にあった九品仏前駅が
名称を変更することになった
当時、ここ地名は、衾村
通常なら新しくできる駅名は、衾駅になるはずだったが、
手塚の自由教育に賛同するヨーロッパ帰りの
文化人たちの訴えで、駅名が自由が丘駅に決定
昭和7年、地名も自由が丘に変更した

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下駄は、二本歯と一本歯の2種類ある
先に誕生したのは、二本歯の下駄
平安時代、二本歯の下駄の原型が誕生した
荒れた路面でも着物の裾が汚れないために、この形となった
 
●一本歯の下駄は、山道を歩くために作られた
 
一本歯の下駄は、山伏や修験者が愛用していた
山の斜面を歩く際、下駄の先端と一本歯で体を支え、
不必要な後ろの歯を無くすことで
二本歯よりも岩や木の根に引っかかりづらく歩きやすい

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戦後 味太助の店主 佐野啓四郎氏が、
日本人が食べやすいように編み出したのが、仙台牛タン
●牛タンが仙台の名物になったワケ
 
昭和40年代まで牛タン店は、7~8軒しかなく名物とは言えなかった
昭和55年に開店した味の牛たん喜助 仙台駅前店が、
大胆にも仙台名物と銘打った
昭和57年、東北新幹線が開通
すると10坪しかなかった喜助が、1か月に2000万円も売り上げた
 
言ったもの勝ち的に牛タンは仙台名物となってしまった

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