●国会では議会の規則によって「君」づけで呼ぶことが決まっている
議員は互いに敬称を用いなければならない、
と衆議院要覧に記載されている
さらに、議員は議場、又は委員会においては、
互いに敬称として「君」を用いる、と参議院先例録に記載されている
したがって衆議院も参議院にならって敬称として「君」づけをしている
明治23年、日本で初めて行われた第1回 帝国議会でも、
すでに「君」が議員の敬称として使われている
●「君」づけが敬称として使われるようになったのは、吉田松陰がきっかけ
吉田松陰は、幕末、松下村塾で明治維新で活躍する若者を指導した教育者
江戸時代、農民、商人、武士と身分制度がはっきりとしていた
松下村塾の塾生には、そうそうたる顔ぶれがそろっていた
農民出身しながら後に初代内閣総理大臣になる伊藤博文、
下級武士出身で、第3代、第9代と2度も内閣総理大臣を務めた山形有朋、
外国軍や幕府軍と戦うために奇兵隊を創設した武家出身の高杉晋作、
尊王攘夷のリーダー的存在となった医師の久坂玄瑞など
幕末から明治にかけて新しい日本を築いた若者が多く在籍していた
当時、松下村塾には、武家出身の者から農民出身の者まで
様々な身分の若者たちが集まっていた
そのため対等な立場で議論すべき時も、
身分差によって下の者が上の者に配慮してしまう
目上の者から目下の者へは「殿」、
目下の者から目上の者へは「様」と
身分の違いによって敬称が分かれていた
そこで吉田松陰は、対等に議論させるために
身分差に関係ない新たな敬称「君」を作った
「君」の由来は、「君主」や「主君」の「君」
そして吉田松陰が多くの塾生を呼びかける時は、
「諸君」と呼ぶようになった
また一人称の「僕」も吉田松陰が流行らせた
「僕」は「しもべ」とも言い、
周囲に対して自分がへりくだっているという意味がある
吉田松陰が、自分をへりくだっていう言葉として使いだし、
松下村塾内で流行し、明治の代の中で徐々に意味が変わり、
現代のような使い方になった
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