江戸時代の天才発明家:平賀源内は、人を殺して獄中死していた

妹に婿養子を迎えさせて家督を放棄し、儒学、俳諧、長崎へ遊学し、
本草学とオランダ語、医学、油絵、漢学、
鉱山の採掘や精錬の技術、オランダ博物学を学ぶ
秩父市の中津川で鉱山開発を行い、石綿などを発見し、
秩父における炭焼、荒川通船工事の指導なども行う
 
安永5年(1776年)に長崎で手に入れたエレキテルを修理して復元する
若い頃は、スポンサーが多かったが、晩年は少なくなり、お金に困っていた
安永8年(1779年)どん底の暮らしを送っていた源内に、
大名屋敷の修繕の仕事が舞い込む
仕事仲間だった大工の棟梁と共に修繕の計画を綿密に練っていった
そして修繕計画から見積もりまで全てをまとめた計画書が完成
ある日の夜、源内は計画書の完成を祝い、棟梁と2人で酒を飲んでいた
酒が進み、2人は酔って寝てしまう
源内が目を覚ますと完成したばかりの計画書が見当たらない
源内が棟梁を問い詰めると、棟梁はその場から立ち去った
源内は棟梁を追いかけ、刀で殺傷
11月21日、現在は殺人罪で投獄され、
12月18日に獄中で破傷風を患い、獄死した
 
実は、計画書は盗まれておらず、
酔った源内の勘違いだったことが後に分かる
 
解体新書で有名な杉田玄白らの手により源内の葬儀が行われた

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