宇都宮大学:杉田昭栄 教授によると
●「グアッァ!」と叫ぶとカラスを撃退できる
 
「カー カー」と叫んでも逃げないカラスが、
「グアッァ! グアッァ!」と叫ぶと逃げだす
 
カラスには41種類もの鳴き声がある
「グアッァ!」は、最も危険を感じる鳴き声
この「グアッァ!」を聞くと危険を察知して逃げていく

(312)

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●温泉まんじゅうの発祥は、群馬県の伊香保温泉にある勝月堂
明治43年、東京で修業した初代店主:半田勝三は、
伊香保温泉に名物を作ろうと考えていた
注目したのは、手ぬぐいが茶色く染まるほど
鉄分が多い茶色い伊香保の湯
黒糖を使って茶色い和菓子が作れないか、
試行錯誤すること半年
ついに理想のまんじゅうが完成した
 
●全国に広まったのは、昭和天皇のおかげ
昭和9年に行われた陸軍特別大演習で
昭和天皇がお買い上げになられ、
トラック一台分の温泉まんじゅうをお買い上げ、
兵隊たちに配ったという

(397)

昔、疲れたときは甘い物を食べると良いと言われてきたが、現在は、
●疲れたときに甘い物を食べるとかえって疲れる
 
疲れたときに脳は、糖分を欲求する
糖分を摂ると一時的に脳は満足して疲れを少しとることができる
しかしその後、体はもっと疲れてしまう
 
甘い物を食べると血糖値が上昇する
体は、上昇した血糖値を下げようすると
この下げるために、かなりのエネルギーを消費する
結果的に体は食べる前よりも、もっと疲れた状態になる
 
疲れたときは水を摂って血流を良くすれとよい

(254)

●耳に水が入っても中耳炎にならない
 
昔は、中耳炎は耳から水が入ることで
水と一緒に雑菌が入り込んで
繁殖して発症すると思われていた
 
しかし中耳と呼ばれる部分は、鼓膜より内側にあるので、
そもそも水が中耳に入ってくることはない
 
中耳炎は鼻や喉の内側から入った菌で発症する

(101)

昔は、風邪をひいたときは、食事をとらないと元気にならない、
と言われてきたが、現在は、
●風邪をひいて食欲がない時は、食べない方が良い
 
体力を蓄えるために食事をとった方が早く治ると思われてきた
最近の研究で、風邪で食欲がなくなった状態というのは、
脳が指令を出して、あえて食欲を抑えていることが分かった
 
風邪ウイルスが体内に入ると、
脳は胃腸などの臓器に免疫細胞を増やすように指令を出す
胃や腸などの臓器は、それまでやっていた活動を
止めて免疫細胞を増やすことを最優先にし、風邪が治る
しかし食欲がないときに食事を摂ると
胃や腸は免疫細胞を増やそうとしているのに
消化活動を行わなければならないため免疫細胞を増やせなくなってしまう
その結果、風邪の治りが悪くなってしまう
 
発熱や下痢をしている場合、脱水症状を伴うことが多い
その場合、水分の補給は必要

(318)

昔、イライラしたときは、
カルシウムを摂ると良いと言われてきたが、
●カルシウムと不足とイライラは関係ない
血液中のカルシウムが脳に運ばれると
脳の興奮を抑えるという作用がある
そもそも血液中のカルシウムが不足した際は、
骨のカルシウムから補給される
血液中のカルシウムが不足する状態は、まずありえない
 
もしも本当に血液中のカルシウムが不足すると
肌がボロボロになったり、最悪 痙攣状態に陥り、
イライラするだけでは済まない
 
カルシウム不足がイライラを招くという情報が出回ったのは、
1975年(昭和50年)、ある雑誌に
ストレス社会の原因は、カルシウム不足という記事が載ったことが原因
当時、高度経済成長も終わり、ストレス社会の真っただ中
日本中がイライラを強く感じていた
同じ頃、食の欧米化が進み、魚中心の食生活から肉中心の食生活に変わり、
カルシウムの摂取量が減少した
社会問題となっていたストレスとカルシウム不足が偶然重なったことで
ストレスの原因をカルシウム不足と断定した記事が出て、日本中が信じてしまった

(119)

着物を扱っている呉服屋だが、着物と呉服は、全くの別物
着物とは、足首まで裾があり、最後に帯を締める衣類のこと
呉服とは、衣類を指す言葉ではない
●呉服とは、衣類ではなく絹の生地のこと
弥生時代、衣類に使う素材は、麻か綿しかなかった
弥生時代中期になると中国、当時の呉から絹の生地が伝わった
当時の日本人は、キメが細かく肌触りの良い絹の生地に驚いた
絹の生地は、身分の高い人たちだけしか
手に入らない高級生地として扱われるように
当時、生地のことを服と書いて「はとり」と呼んでいた
なので呉から来た絹の生地のことを、呉から来た絹の服(はとり)
略して呉服と呼ぶようになった
呉服とは、完成した衣類ではなく絹の生地のこと
 
●呉服と着物が同じ意味で使われるようになったワケ
江戸時代に誕生した呉服屋では、着物は売っておらず、
絹の生地である呉服だけを販売していた
当時、身分の高い人も低い人も着物は生地を買って持ち帰り、
自分たちで作っていたのだが、呉服屋が着物の仕立て職人を雇い、
生地からオーダーメイドで着物を作るサービスを始めた
当時も呉服はとても高価なもので庶民は、
呉服屋に出入りすることができず、呉服を見たことがない人が大半
さらに絹の着物を着て呉服屋から出てくる姿を見て、
呉服は完成した絹の着物だと勘違いしてしまった
この勘違いによって、呉服とは完成した着物と広まった

(194)

巻貝の仲間だが、成長すると完全に貝殻を失うクリオネ
バッカルコーンと呼ばれる6本の触手で餌を抱え込み、
その養分をゆっくりと吸収する
 
実は、クリオネは大阪のスーパーで3匹980円で販売されている
 
●クリオネを食べるとガソリンの味がする
それは、潮の香りと灯油みたいな味
クリオネは餌を滅多に食べない
そのため体内にエネルギーとなる油を蓄えている
その油が、灯油のような臭さを生んでいる

(2733)

●ブリだけ出生魚になったワケ
 
モジャコ(0歳10㎝未満)→ワカシ(1歳30㎝)
→イナダ(2歳50㎝)→ワラサ(3歳70㎝)→ブリ(4歳80㎝)
 
ブリは、とにかく成長スピードが早い
1年ごとに成長して体の大きさが変わり、味も変わっていく
 
そのため昔の人は、これらのブリを別の魚として認識していた

(251)

●浜焼きでハマグリを焼くと開いた際、必ず殻の上に身がつく理由
ハマグリは、上下の貝に貝柱がついている
ハマグリを焼くと、熱で下の貝柱だけ縮み、外れる
そのため必ず殻の上に身がついたまま貝が開いてしまう
 
それを防ぐために、
ハマグリをアルミホイルに包んだ焼くと
上下に熱が均等に伝わり、両方の貝柱が外れる

(1710)

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