脳科学者:中野信子によると
視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚…
●五感の嗅覚は、記憶と密接に関係している
・視覚の記憶は、書き換わりやすい
海外で起きた強姦事件で、
どの人が犯人ですか?と被害者に聞いた
この人です。と指さした写真は、
よくテレビ出ていた心理学者だった
パニックになって よく見ていた人の
顔に書き換わってしまったケース
 
●匂いが脳に起こすプルースト効果
ある特定の香りを嗅ぐことで、
その香りに結びついている記憶が呼び起こされる現象のこと
人の記憶は、海馬に貯蔵される
海馬に一番近い五感こそ、嗅覚
 
ドイツの大学で行われた 知らない単語を40個覚えさせる実験
バラの匂いを嗅がせながら覚えさせた群と、そうでない群
さらにバラの匂いを嗅ぎながら覚えさせた群に、
寝ている部屋にもバラの匂いを漂わせた
翌朝、バラの匂いを使った群の方が、成績が良かった
寝ている間にバラの匂いを嗅がせることで、
記憶を定着させようと脳が頑張る
 
Tシャツを男子学生に1日中 着させておく
女子学生の44人分のTシャツを嗅がせ、どれが一番いい匂いですか?と聞く
すると順位の高い人は、女子学生と遠い遺伝子の人だった
自分と一番 遺伝子的に子供を作るのに最適な人を匂いで選んでいる
 
●ヒノキの匂いが脳の神経新生を促す
神経新生→脳内で新しい神経細胞が生まれる現象
ヒノキの香りには、αピネンという物質が含まれており、
記憶を司る海馬に刺激を与え、脳を活性化させると言われている

(9925)

スポンサード リンク
脳科学者:中野信子によると
●物忘れを防ぐ
会ったことがあるのに名前が思い出せない
相手の名前を聞いて知っているはずと言うことには気づいている
それをメタ記憶と言う
メタ記憶がある状態とは、記憶そのものは まだ脳の中にある
それを思い出せていないだけ
記憶力そのものは悪くなっていない
記憶を思い出す、引き出す能力が衰えている
年をとるとともに記憶が多くなるので、探す時間がかかる
前頭前野の一部分にあるワーキングメモリを鍛えると
記憶を思い出す、引き出す能力が高まる
そしてワーキングメモリは、何歳になっても鍛えられる
 
●ワーキングメモリの鍛え方
1、何でも記録する携帯電話に頼らない
2、人の名前を工夫して覚える
3、街で広告を見た時、書かれている言葉を覚える
そして広告から目を離し、何が書いてあったかを思い出し、
印象に残った言葉を挙げてみる
4、人と話をするときも、その中で大切だと思う言葉を記憶して、
後ほど思い出してみる
イメージやエピソードを結び付ける、
自分が体験したことや感情を伴うことは忘れにくい
 
●女性は男性よりも感情を伴う記憶を覚えやすい

(628)

●種ありブドウも種なしブドウも同じ品種
 
まだブドウが小さく花が咲いている時に、
ジベレリンという赤い液体に浸けるだけで
本来 種ができるはずのブドウが種無しになる
 
ジベレリンとは、植物が持つホルモンの一種
茎や実を大きく成長させる働きがある
 
本来ブドウは、おしべからめしべに花粉がついて受粉し、
めしべの中に種ができ、種から成長ホルモンが分泌され、
実が大きくなっていく
受粉する前の めしべをジベレリン液に浸けると
めしべが受粉できなくなるので、種ができなくなる
 
種なしブドウは、種ありブドウに比べて茎が太い

(179)

●寒がりの人と寒がりでない人の違い
その違いは、筋肉量と脂肪量
多ければ寒がりではなくなる
 
それ以外にも理由がある
 
それは肉をよく食べているか どうか
肉には、タンパク質がたくさん含まれている
タンパク質には、熱を多く作りだす効果がある
大豆よりも肉の方がビタミン類が多く含まれている
タンパク質とビタミン類が結びつき、より多くの熱を作りだす
同じ100gの量に含まれるタンパク質の量は、
豚肉や鶏肉よりも牛肉の方が多い
 
●寒がりの人は、牛肉を食べると良い

(322)

家庭で唐揚げを揚げるて冷めると衣がべチャッとしてしまいがち
 
唐揚げ専門店からやま:山田桂也によると
●唐揚げは、衣をつけてから1時間以上 寝かせると冷めてもカラッとした衣の状態が続く
 
鶏肉に醤油、酒、生姜などで下味をつける
片栗粉をまんべんなくまぶす
油で揚げる前に、1時間以上 冷蔵庫で寝かせる
1時間以上寝かせることで、
肉の余分な水分が外に出て片栗粉に染み込む
それを揚げることで、丈夫な衣になる

(1593)

●一度入ったら抜け出せない八幡の藪知らず
千葉街道沿いの市川市役所前
人通りの多い街の中なのに鬱蒼とした竹藪がある
鳥居の奥には、不知森神社がある
この藪は、江戸時代の頃から、
一度入ると抜け出せないと言われ、恐れられた禁足地
江戸名所図会にも描かれている八幡の伝説の地
ほんの小さな竹藪だが、地元の人は祟りを恐れ、入ることはない
八幡の不知藪として、
出口の分からないこと、迷うことなどの慣用句にもなっている
 
●市川の名の由来
東京と千葉の境に流れる江戸川は、
かつて東国一の川と言われていた
「いちのかわ」が転じて、市川という町の名が生まれたと言われている

(227)

「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」
の著者:Eikoによると、
●開脚できるようになると身体が柔らかくなるだけでなく4~5キロ痩せる
股関節の動きが柔らかくなると太ももの筋肉が良く動くようになり、
また全身の血行が良くなり、基礎代謝が上がってダイエット効果が見込める
 
●毎日行う基本ストレッチ:タオルストレッチ
1、仰向けに寝て両膝を立てる
2、片足の裏にタオルをかける
3、タオルを引っ張り脚を揺する
4、反対側の脚も同様に30秒間伸ばす
膝を曲げず脚の裏側全体を伸ばすのがポイント
 
●毎日行う基本ストレッチ:シコストレッチ
1、脚を肩幅よりも開き、つま先は外側へ
2、膝を曲げ、手を太ももの内側に置く
3、肘を張り、膝を外側に押し開く
4、腰を上下に20回揺らす
5、肩を内側に入れ上下に20回揺らす
6、逆の肩も内側に入れ、上下に20回揺らす
 
●週替わりストレッチ 1週目 内ももストレッチ
1、膝をできるだけ開いて両手を前につき、片方の膝を曲げる
2、伸ばした脚は、つま先と膝を天井方向へ、曲げた脚は、つま先と膝を体の外側に
3、揺すりながら30秒間キープ
4、反対側も同様に行う
 
●週替わりストレッチ 2週目 壁ストレッチ
1、お尻を壁につけ、天井にむかって両脚を伸ばす
2、脚を開いて1~2分軽く揺する
 
●週替わりストレッチ 3週目 椅子ストレッチ
1、背もたれつきの椅子を用意
2、背もたれにむかってまたいで座り、脚を前に出してつま先立ちをする
3、背もたれを持ち、胸を張って腕を伸ばす
4、骨盤を突き出すように意識して上半身を30秒間揺らす
 
●週替わりストレッチ 4週目 ドアストレッチ
1、ドアスペースを使用
2、ドアの前に脚を開いて座る
3、脚の付け根をドアに近づけ、上半身を前に倒して30秒間揺らす
 
基本となる2種類のストレッチに加え、週替わりのストレッチを1週間ずつ行う

(345)

宝くじ売り場、ゴルフのスコアカード、馬券売り場で使われている
マークシートを塗りつぶすのに
欠かせないプラスチック製の使い捨て鉛筆
全国のJRAでは、年間1000万本が消費されている
 
●プラスチック製の使い捨て鉛筆の正式名称は、ペグシル
 
開発、そして日本で唯一生産している岡屋株式会社
ゴルフ場の芝を直すペグに鉛筆の芯を付けて
ペグ+ペンシル=ペグシルと名付けられた
元々はゴルフ用品として開発された
 
昔、ゴルフのスコアカードを書くとき、短い鉛筆を使用していたが
冬場はかじかむので、替わりになるものを探していた
先代の社長が、牛乳瓶の栓抜きが
スコアカードに形状がぴったりだったことから
栓抜きの針を鉛筆の芯に替えるアイデアを発想した

(487)

●ボクシングの世界チャンピオンになるとチャンピオンベルトを買い取らなければいけない
金額は団体にもよるが、約20万円前後
防衛した場合は、最初に買ったベルトを使い回す
次の新チャンピオンは、ベルトを新調し、買い取る
ちなみにベルトには、チャンピオンの顔写真が埋め込まれる
 
●近代ボクシングの始祖は、頭髪を剃った賞金稼ぎ
1718年にジェームス・フィグは、ロンドンで
ボクシング・アカデミーを設立してボクシングを教え始めた
彼が行った当時の「ボクシング」とは素手で行い、
蹴りや投げ、締め、噛み付き、目つぶしだけでなく、
フェンシングや棍棒術も含まれたものだった
教える傍ら、自らつかまれないように頭髪を剃り、
プライズ・ファイターとして腕自慢らを倒して賞金を稼いでいた

(688)

大塩平八郎は、大阪町奉行与力を務め、
身内の不正を摘発したり、生臭坊主を摘発したり
腐敗役人を糾弾するなど正義感の強い人物だった
 
1800年代中盤、200寝に帖続く江戸幕府は、徐々に腐敗し、
役人は賄賂を受け取るのが当たり前、
一方庶民には、贅沢を禁止する倹約令を発令
そして、天保の飢饉が起こり、
餓死してしまう庶民が後を絶たない状態
 
民を救うため、将軍へ送る米を分け与えるように嘆願したが、
一切 取り合ってもらえず、それどころか役人の贅沢が止まらない
救済処置をとらない幕府に対し、このままでは日本が滅んでしまう、
そう考えた大塩平八郎は、ある計画を立てる
それが大阪奉行所の襲撃計画
大阪奉行所を襲い、保管されてあった米を強奪する
1837年2月19日、大塩平八郎の乱
大塩平八郎は、「救民」の旗を掲げ挙兵し、
大坂の1/5が焼失する戦いとなったが、わずか半日で鎮圧された
その40日後、大塩平八郎は自害し、反乱は終結した
 
大塩は死ぬことも、負けることも覚悟していた
挙兵した本当の目的とは?
幕府の腐敗を世に知らしめることだったのかもしれない
 
武士階級に属する人が明確に幕府に
反乱の意思を示したのは、大塩平八郎が最初
 
大塩平八郎の乱は、西郷隆盛などに深い感銘を与えたと言われている
 
この事件の16年後、1853年7月8日 浦賀に黒船が来航する

(436)

スポンサード リンク