●中華料理店の店名に○○軒が多いワケ
 
明治43年、浅草に開店した伝説の中華料理店 来々軒
元々は、○○軒は西洋料理店に使われていた
中華でも人気のある店を作りたいと店名に軒をつけ、来々軒とした
来々軒は、大繁盛した
その人気にあやかろうと後からできた中華料理店は、
こぞって○○軒を名乗った
 
来々軒の商標登録は、第二次世界大戦中に期限切れたため、
来々軒を名乗る中華料理店が日本全国に拡大した

(303)

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薬の黒い歴史
●頭痛薬が開発される15世紀から16世紀まで
頭痛を焼きごての火傷の痛みで紛らわせようとしていた
 
●便秘薬が開発される16世紀から19世紀まで欧米では水銀を便秘薬として使用していた
水銀は、見た目が銀色で神秘的
英語でMercury(マーキュリー)と呼ばれている
ローマ神話の神様の名前
世の物質で神様の名を貰ったのは、水銀だけ
毒性を持つ水銀を飲むと消化器官が機能しなくなり、
食べたものが体内に吸収されず排出されるため、
水銀が下痢に効いていると勘違いしていた
 
●傷薬が開発される19世紀までヨーロッパではヒ素が使われいた
傷口にヒ素を塗ると、その部分が壊死する
当時、壊死することで傷が治ったと思われていた
さらに壊死した部分は、白くなるのでヒ素が美容クリームとして使われていた
塗るだけでは飽き足らず、ヒ素をパンに塗って食べていたという
 
●18世紀のイギリスでは、タバコの煙を溺れた人のお尻に入れていた
タバコの煙が呼吸器系に影響を与えると考えられていた
 
●古代中国で不老不死の薬として流行した無精神薬 五石散
五石散を飲んで体が熱くなることを散発という
熱が出れば五石散が効いている証拠だが、熱が出ないと死んでしまう
五石散を飲んで、熱を出すために歩いたことから散歩という言葉が生まれた

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お札には製造年が記載されていないのに
●硬貨に製造年が刻印されているワケ
 
明治時代の初期に発行された硬貨には、
金や銀が使われており、
毎年、硬貨に含まれる金属の量に違いがあった
金属の量が異なると価値も異なる
 
それを明らかにするために
製造年を刻印しなければいけなかった

(310)

●第2回 箱根駅伝で起きた大事件
 
警備にあたっていた警察官 前田喜太平は、
沿道の盛り上がりにテンションが上がり、
選手と一緒に走り出してしまった
現場は大混乱
責任を取り、前田さんは警察を辞職した
 
しかしその後、前田さんは日本大学にを受験
合格した前田さんは駅伝部に入部し、
第6回 箱根駅伝に出場し、2区で区間賞に輝いた

(402)

●東京 自由が丘の地名の由来は、自由ヶ丘学園
 
昭和2年、自由教育を掲げた教育者 手塚岸衛が、
自由ヶ丘学園の設立した
その碑は、Peacookの駐輪場にある
 
昭和4年、この地にあった九品仏前駅が
名称を変更することになった
当時、ここ地名は、衾村
通常なら新しくできる駅名は、衾駅になるはずだったが、
手塚の自由教育に賛同するヨーロッパ帰りの
文化人たちの訴えで、駅名が自由が丘駅に決定
昭和7年、地名も自由が丘に変更した

(358)

下駄は、二本歯と一本歯の2種類ある
先に誕生したのは、二本歯の下駄
平安時代、二本歯の下駄の原型が誕生した
荒れた路面でも着物の裾が汚れないために、この形となった
 
●一本歯の下駄は、山道を歩くために作られた
 
一本歯の下駄は、山伏や修験者が愛用していた
山の斜面を歩く際、下駄の先端と一本歯で体を支え、
不必要な後ろの歯を無くすことで
二本歯よりも岩や木の根に引っかかりづらく歩きやすい

(326)

戦後 味太助の店主 佐野啓四郎氏が、
日本人が食べやすいように編み出したのが、仙台牛タン
●牛タンが仙台の名物になったワケ
 
昭和40年代まで牛タン店は、7~8軒しかなく名物とは言えなかった
昭和55年に開店した味の牛たん喜助 仙台駅前店が、
大胆にも仙台名物と銘打った
昭和57年、東北新幹線が開通
すると10坪しかなかった喜助が、1か月に2000万円も売り上げた
 
言ったもの勝ち的に牛タンは仙台名物となってしまった

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雷おこしの「おこし」は、遣唐使によって中国から伝来したお菓子
●雷おこしが浅草の名物になったワケ
 
雷門は、過去に3度火事に焼失、現在の雷門は四代目
三代目の雷門は、1795年 江戸中期に再建された
三代目の再建を祝して誕生したのが、雷おこし
浅草復興の興すという文字をとって雷おこしと名付けられた
 
ヒントを得たのは、大阪名物の岩おこし
豊臣秀吉の大阪城築城を祝い、大阪の掘りおこし岩おこしと
街の発展を祈願した縁起の良い名前にあやかった

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●小倉トーストが愛知県の名物になったワケ
 
小倉トーストの発祥は、ぜんざいを提供していた甘味処 満つ葉
大正7年、買い占めによる米の高騰から全国に広がった米騒動が起きた
もち米も不足したため、満つ葉では、
ぜんざいに餅を入れることができなくなった
その頃、店のメニューにパンが加わった
客の学生が、餅の代わりにパンをぜんざいに浸けて食べた
それを見て満つ葉の店主が考案したのが、あんサンド
それは店の近くの旧制八高(現 名古屋大学)の学生の間で人気となった
さらに昭和の喫茶店ブームも追い風となり愛知県中に広がった

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●穴子飯が広島県宮島の名物になったワケ
 
穴子が獲れるようになったのは、牡蠣のおかげ
その生産量は、全国1位
牡蠣筏に付着したエビやプランクトンが海底に沈む
それが穴子の餌になり、大量に集まってくる
 
牡蠣の養殖が始まったのは、室町時代
その副産物として穴子も獲れるようになった
 
穴子飯が宮島の名物になったのは、明治31年、
宮島駅で穴子飯の駅弁が発売され、全国に知れ渡った

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