●日本のポテトサラダのルーツは、ロシア料理のオリヴェエサラダ
 
角切りにしたジャガイモと肉や野菜を
マヨネーズを和えたロシアの伝統料理オリヴェエサラダが
日本のポテトサラダによく似ている
明治時代、ポテトを使うサラダと紹介されたため
日本ではポテトサラダという名になったと考えられている
ロシアのオリヴェエサラダを再現し、日本独特のポテトサラダが完成した
 
明治時代、料理学校で使われていた教科書には、ポテトーサラドの名で掲載
“馬鈴薯をマヨナイスと混ぜて用いる”と説明されている

(448)

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●東京の中野は昔、巨大な犬小屋だった
 
それを作ったのは、江戸幕府 5代将軍 徳川綱吉
鳥類憐みの令により江戸の町に野良犬が激増
街にあふれた犬を集め、多い時には10万頭を飼育
その飼育にかかる費用が、約100億円
犬小屋があった範囲は、
中野ブロードウェイを中心とした中野駅から高円寺周辺まで約30万坪
 
東京都中野区囲町は、犬を囲っていたことからつけられた地名

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広さは、東京ドーム 約11個分
東京都民の憩いの場として1971年に開園した代々木公園
●代々木公園は昔、東京オリンピックの選手村だった
 
敷地内には、選手の宿舎が200棟以上あった
世界93か国から集まった約6000人が泊まった
1964年の東京オリンピック開催にあたり
明治神宮周辺にある会場へのアクセスの良さから選手村として使われた
 
そもそも江戸時代には、大名や旗本らの下屋敷などが点在していた
明治維新後は民有地となり、一面の茶畑や桑畑に変わった
その後、大日本帝国陸軍の代々木練兵場
戦後、米軍の住宅地ワシントンハイツとして使用されていた

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●上野公園の不忍池は昔、競馬場だった
馬が走るコースが、現在の池の周りの道
明治17年、第1回のレースが開催された
出場者は、武者姿
ギャンブルではなく市民の娯楽として人気を博した
コース沿いには、馬見所という観客席が設けられていた
上野公園は、最新西洋文化を
お披露目するイベント会場としての顔を持っていた
明治40年には、万博も開かれ、
ウォータースライダーが設置されたこともあった
 
●浅草の雷門は昔、凱旋門だった
かつてナポレオンがロシアとの戦いに勝利した時、パリに建てた凱旋門
それに習い、1905年、日露戦争の勝利を記念して浅草に凱旋門を建てた
当時 戦争に強い国を目指していた日本は、
浅草だけでなく日本中に凱旋門を建設した

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●香典の香は、線香を意味する
仏教では、死者は線香の香りを食べると考えられている
 
それは4~5世紀の北インドの高名な僧侶 世親の俱舎論にある
そこには、人は死後生まれ変わるまでの
四十九日の間、香を食す、と記述されている
 
線香は、高級品であったため香典は元来 米や野菜が一般的だった
それがお金で渡すようになったのは、明治以降
香典を渡すのは、亡くなった方の食べ物をお供えするということ

(151)

困る、もてあますという意味の、てこずる
●てこずるとは、梃子から生まれた言葉
重いものを動かそうと梃子を使うも
ズレてしまい、動かない様子から生まれた江戸時代の流行語
梃子がズレる→てこずるとなった
 
●同じ穴のむじなの「むじな」とは、アナグマのこと
同じ穴のむじなとは、
一見関係がなさそうに見えて実は同類であることの例え
むじな=アナグマ
アナグマは、タヌキと同じ穴に住むこともあるから
 
ゴリ押しとは、無理矢理 意見を押し通すことを意味する
●ゴリ押しのゴリとは、魚のこと
鮴と書く
ハゼの仲間で川底にへばりつくため
漁師は木の板を強引に押して、網に追い込まなければいけない
その様子が、ゴリ押しの語源となった

(343)

●デマの語源は、デマカセではなくデマゴギー
デマゴギーとは、ドイツの政治用語
意図的なウソの情報や悪宣伝という意味
事実と分かっていながら相手の印象を悪くする情報を流すのがデマ
 
●ガセの語源は、お騒がせ
本当なのかどうか分からない噂話で周りを騒がせている
 
●ホラの語源は、ほら貝
ほら貝を拭くと、見た目以上に大きな音を出す
そこから大げさなことを言う意味でも使われるようになった

(267)

●高齢者をシルバーと呼ぶようになったワケ
 
それは電車の優先席で最初に使われた生地が銀色だったから
優先席が初めて設けられたのは、1973年
その際、藍色の普通席と区別しやすいように色分けされた
最初に使われたのが、当時余っていた銀色の布
そのためその席をシルバーシートと名付けられた
 
全国的な普及につれ、シルバー自体が、
高齢者という意味で広く認識されるようになった

(137)

●経済とは、経世済民(経国済民)の略語
 
経世済民は、中国 晋の時代の古典に登場する言葉
世を治め民を救う、政治、統治、行政一般を意味する言葉だった
それが略され、経済という言葉になった
 
日本では江戸時代に、儒学者、
蘭学者などが略した経済を使用するように
 
その後、幕末期にイギリスなどから古典派経済学の文献が輸入されると
economyの訳語として経済が用いられ、現在で使われるような意味となった

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●海苔は、正方形に見えるが、ちょっとだけ長方形
サイズは、縦21㎝、横19㎝とちょっとだけ長方形
海苔が長方形なのは、効率よくたくさん運ぶため
縦21㎝、横19㎝のサイズは、全形と言い、江戸時代の頃から変わらない
 
海苔の運搬に使っていたのが、海苔平箱
この箱の大きさに合わせて海苔の大きさが決まった
横87㎝、縦40㎝、高さ25㎝
海苔を2つ折りにした9.5㎝幅を1列300枚、
ピッタリ詰めると1箱で2400枚もの海苔を運ぶことができた
 
江戸時代、運搬は、大八車を使っていた
大八車の幅が90㎝、海苔平箱は87㎝
大八車に合わせた海苔平箱に合うサイズの海苔が全形ということ

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