●おでんのルーツは、味噌田楽
串に刺した豆腐に味噌を塗って焼く味噌田楽
そこに宮中に使えた女性たちの丁寧語である「お」をつけて、
「おでんがく」となり、さらに「おでん」と呼ばれるようになった
 
●せっかちだった江戸っ子のおかげ
味噌を塗ってから焼く旧式のおでんは、手間がかかる
煮込むおでんの場合、具材を入れて煮込むだけで手間がかからない
煮込むおでんも串に刺さっているので、食べるのに手軽
江戸中期に濃口醤油が登場したことで調味料が発展
おでんは、瞬く間に江戸っ子たちに大人気となった
 
●全国におでんが広まった理由は、関東大震災
大正12年に起きた関東大震災
震災後、全国から復興支援の人々が東京に集まった
江戸っ子は、自分らが食糧難であったにもかかわらず、
復興支援に来た人たちにおでんを振舞った
美味しさと手軽さに感動した復興支援者は、各地に持ち帰って
全国に煮込み式おでんが広まった

(146)

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●イチゴの食べる部分は、実ではなく茎
茎の先端が膨れて変形したのが、イチゴの食べている部分
イチゴの実は、ツブ
ツブの中に種がある
 
●イチゴを食べると虫歯予防効果がある
イチゴには、キシリトールが豊富に含まれており、虫歯予防効果がある
 
北九州工業高等専門学校:川原浩治によると
●イチゴを食べると花粉症が改善する
イチゴに含まれる酵素が働いて花粉症のアレルギーの
引き金となる原因物質が減少することが分かった

(304)

●赤さではなくツヤのあるイチゴの方が甘い
イチゴは、赤くても熟しているとは限らない
イチゴの赤色は、ポリフェノールの一種であるアントシアニン
主に抗酸化作用があるが、甘さとは全く関係ない
収穫した時点で甘みは止まるが、
色づきだけは進むので熟さなくても真っ赤になることもある
ツヤのあるイチゴは、みずみずしく、中まで熟している証拠
 
●先が平たいイチゴの方が甘い
イチゴは先に行くにしたがって糖度が高くなる
ヘタと比べると糖度は2、3倍違う
先が大きいほど甘い箇所が多くなる
 
●イチゴのツブの間が離れている方が、熟している
ツブが離れているのは、熟して実がパンパンの証拠
熟せば熟すほど内側が膨らみ、
ツブが表面に食い込み、イチゴに張りが出る
 
●産毛が際立つイチゴは、新鮮な証拠

(173)

現在は、俳優も役者も一般的には同じ意味だが、
そもそもの語源は全く違う
 
●俳優は、奈良時代以前から使われている言葉
奈良時代に完成した日本書紀に俳優は記されている
当時は、「はいゆう」ではなく「わざおぎ」と呼ばれていた
「わざおぎ」とは、神事として魔除けや
豊作を願うために歌や踊りによって神様を喜ばせること
俳優には、現在の意味のような何かを演じるという意味は含まれていなかった
 
●役者は、室町時代から使われるようになった
室町時代以降、能や狂言が誕生し、
役をもらって演じる人を役者と呼ぶようになった
江戸時代になると物語を演じる役者が、
演目の中で歌や踊りも披露するようになったので、
いつしか俳優と役者の意味が混同してしまった

(193)

●渡部さんの職業は、船渡しだった
飛鳥時代には、渡部さんがいたと言われている
現在の大阪、摂津国で船渡しをしていた人たちが、名乗った名字が渡部
部は、当時の職業を表す漢字
船渡しの職業を渡部と書き、(わたしのべ)と呼んでいた
次第に、わたしのべ→わたしなべ→わたなべと変化した
船渡しの職業だった人が、その後、名字として名乗るようになった
 
●渡辺は、元々名字ではなく地名だった
平安時代、現在の大阪あたりで船渡しの仕事をしていた渡部さんたちは、
職業柄 皮の近くの集落に住んでいた
そんな渡部さんが住む集落を渡部の辺りと呼んでいた
次第に渡部を辺りを略して、渡辺という地名で呼ぶようになった
 
平安時代中期になると渡辺の地を治めるため源綱が訪れる
渡辺を治ることになった源綱は、渡辺綱と姓を改めた
それまで地名だった渡辺を、名乗ったため最初の渡辺となった
 
当時、京の都の近くには鬼と呼ばれていた盗賊が悪さをしていた
鬼退治に呼ばれた渡辺綱は、見事に鬼を成敗した
この鬼退治伝説は、都周辺に広がった
渡辺綱の活躍が広まるにつれ、渡辺に姓を変える渡部さんが続出
 
その後、鎌倉時代になると船渡しをしていた渡辺さんは、
その技術が買われて各地の権力者に雇われるようになり、
全国に渡辺さんが広まった
 
●他に派生したワタナベの名字は、戸籍を登録するときに役人が書き間違えたモノ

(212)

●元々 大阪は大坂だった
現在の大阪府のあたりが、
オオサカと呼ばれるようになったのは室町時代後期
当時の摂津に、浄土真宗の僧侶 蓮如が寺を建てた
近くに大きな坂がある寺だったので、
寺を意味する御坊をつけて、大坂御坊と名付けられた
 
その後、安土桃山時代になると天下統一した豊臣秀吉が、
大坂御坊の跡地に城を建てた
それが大阪城
現在は、コザトヘンの大阪城だが、江戸時代までは大坂城だった
そして次第に大坂城周辺の地域のことを大坂と表記するようになった
 
江戸時代後期になると、ツチヘンの大坂が縁起が悪いと
コザトヘンの大阪に変えていくようになった
坂を分解すると土反→土にかえる、と言い、
武士が、死を連想させると縁起が悪いとした
坂と同じ意味を持つ阪に変える風潮となり、
明治時代になると正式に大阪の阪がコザトヘンになった

(172)

●明石焼きは、元々捨てられるはずの黄身から作られた
 
明石焼きが誕生する前、兵庫県にあった特産が、明石玉
かんざしの装飾として使用された明石玉は、
作る際に接着剤として卵の白身を使用していた
 
捨てるしかない黄身を使って誕生したのが、明石焼き
 
今では明石玉は、プラスチックの普及により衰退したが、
明石焼きは、全国区の特産に発展した

(92)

全国生産量の約9割が愛媛で生産されている いよかん
愛媛の旧地名 伊予からその名がついた
 
●いよかんは、元々山口県で誕生した
 
愛媛は、苗木を貰っただけ
 
いよかんは、オレンジとミカンが偶然かけ合わさってできたもので
明治19年に山口県で原木が発見された
その後、愛媛の園芸家が苗木を持ち帰り、栽培
愛媛の気候、風土に合い、県内の農家に広がり、
山口生まれの果物が、伊予の特産となった

(107)

鳥取で有名な二十世紀梨だが、
●二十世紀梨は、元々千葉県のゴミ捨て場に生えていた
 
明治21年、千葉県松戸市に住む松戸覚之助がゴミ捨て場で発見
明治37年に苗木が千葉県から
鳥取県に伝わり、大量に栽培されることに
 
ちなみに二十世紀梨が見つかった地名は、
千葉県松戸市二十世紀が丘

(141)

緑茶の最高峰 宇治茶
製造する京都府宇治市は、日本茶発祥の地
 
●宇治茶は、京都産でなくても名乗れる
 
京都産の茶葉だけでは、基本的に足りない
滋賀県、奈良県、三重県の農家に、宇治茶の栽培を指導し、
そこから栽培した茶葉を京都の加工業者が、
加工したモノに限り宇治茶と名乗れると決めている
 
宇治茶と、3県の関係は、江戸時代から続く長い伝統がある

(195)

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