●干支は、全部で60種類ある
干支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類だけではない
これは昔の中国で暦や時間などに使用していた十二支
もう一つ、十二支を合わせることで細かい日付を表していたのが、十干
十干の「干」と十二支の「支」を合わせて、干支と呼んでいる
実は干支は、60種類ある
 
1868年に起きた戊辰戦争は、十干の戊と十二支の辰の年にあったため、
この名がついた
 
1924年(大正13年)、十干の甲と十二支の子の甲子に完成したのが、甲子園
 
また十干の丙と十二支の午の丙午
丙午生まれの女性は、気性が激しく夫の命を縮めると江戸時代から言われてきた
この迷信は、昭和の時代でも信じられ、
丙午の昭和41年だけが、出生率が25%も激減した
 
60年で干支が一巡し、元も還暦に戻るため、60歳を迎えると還暦となる
還暦になると赤ちゃんに戻るという意味で赤いちゃんちゃんこを着る

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●初夢とは、元旦の夜に見る夢、または正月2日の夜に見る夢
夢の内容から1年の吉凶を占う日本古来の風習
縁起が良いと言われている初夢が、一富士、二鷹、三茄子
 
●一富士、二鷹、三茄子には続きがある
続きは、四扇、五煙草
扇は、ひっくり返すと富士山のような末広がりになる
煙が上昇する煙草は、運気が上がると言われている
 
●お年玉は、そもそもお金ではなく餅だった
お年玉の「年」は、年神様の「年」、
「玉」は「たましい」の「玉」
年神様の魂をいただく御年魂→御年玉と変化していった
そもそもは家長が、家族などに餅玉を分け与えていたのがはじまり
お年玉を頂くことでさらに一年 生きる力をいただける意味がある
江戸時代頃から徐々にお金に変わっていった

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●あけましておめでとうとは、年齢を重ねたことへのお祝いの言葉だった
 
産まれたときを1歳と数える数え年
その後、毎年元旦に年を重ねる
 
戦前は、数え年が一般的だった
そのため、正月に「あけましておめでとう」と
年を重ねたことへのお祝いとして挨拶していた
 
現在、当たり前のように使っている満年齢
産まれたときは0歳で誕生日で1歳を加算する
1949年(昭和24年)に年齢のとなえ方に関する法律が施行され、
数え年ではなく満年齢に統一された
 
今でも七五三詣、厄払祈願、厄除祈願などで数え年が使われている

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神保町交差点から徒歩1分
1877年(明治10年)、日本初の大学 東京大学が創立された
すると周りに一橋大学、専修大学、日本大学、
明治大学、中央大学などが次々と造られ、神保町は学生の街になった
 
この機を狙っていち早く古書店を始めたのが、有斐閣の初代 江草斧太郎
江草斧太郎は、大学の新入生がお金がないため教科書が買えないことを知り、
卒業生から使わなくなった教科書を買い取り、安く売り始めた
学生は大喜び、店も大繁盛
 
その噂は広まり、全国各地から本屋が集まり、神保町は古本街になった
 
また神保町にカレー店が多いのは、本を読みながらでも食べられるから

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明治神宮の鳥居をくぐって5分ほど歩いたあたりに
竹の柵に囲われたモミの木がある
 
そこには高さ54m、幹の直径10.8mの巨大なモミの木が生えていた
そのモミの木に登ると江戸城を覗き見することができるため、
江戸幕府によって木登り禁止令が出されたほど
幕末には、この木に登って黒船を見ていた人がいた
それほど巨大なモミの木が、この地に代々生え続けていたことから、
この地を代々木と呼ばれるように
 
巨大なモミの木は、昭和20年5月の戦禍で焼失し、
その後、植え継いだのが、現在のモミの木

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興福寺にある国宝 阿修羅像
一般的な阿修羅像は、鬼のような勇ましい顔だが、
興福寺の阿修羅像は、3面とも少年のような優しい顔
2009年、奈良大学の今津教授が阿修羅像のCTスキャンを行った
すると今の顔の下に全く違う顔があることが分かった
それは少年のような顔ではなく眉も目も吊り上がった厳しい表情
調査の結果、今の顔に変えられたのは、完成直前
 
●完成直前に顔を変えられた国宝 阿修羅像
そもそも阿修羅像は、第45代 聖武天皇の妻 光明皇后が、
亡くなった母親の供養のために仏師に依頼したモノ
 
続日本記によると、727年、光明皇后は、待望の男子 基王を授かる
本来なら成人でないと皇太子になれないところ、
基王は特別に生後33日で皇太子に即位
しかし基王は、1歳を待たずに亡くなってしまった
その6年後に造られたのが、優しい顔の阿修羅像
最愛の息子に会いたい、その想いが、
6歳に成長した息子に似せて造ったのではないかと考えられている
 
●阿修羅像の体重は、15㎏しかない
土で塗った像に布を張り、漆で塗り固める脱活乾漆技法
布が固まった後に土を抜き取るため軽くなる
この技法で造られたため、何度も火事に襲われても持ち運ぶことができた

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12年をひと周期する十二支は、子・丑・寅・卯・辰・
巳・午・未・申・酉・戌・亥の12の漢字からなり、
それぞれ子:ねずみ、丑:うし、寅:とら、卯:うさぎ、
辰:りゅう、巳:へび、午:うま、未:ひつじ、申:さる、
酉:とり、戌:いぬ、亥:いのししの12の動物があてられている
 
十二支は、紀元前1600年ころ、中国 殷の時代に作られた
12の漢字は、動物を表す漢字ではなかった
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は、
それぞれ一番目、二番目、三番目…という順番を表す漢字だった
しかし当時の中国では、漢字が分からない人がたくさんおり、
漢字が分からない人でも十二支を覚えられるように
それぞれの漢字に12の動物を当てはめて覚えやすくした
 
●十二支の動物は、文字の形や意味合いから当てはめられた
子は、子どもの「子」とも読める
たくさん子どもを産む身近にいる動物が、ねずみだった
巳は、へびのような形をしているため、へびを当て、
卯は、形がうさぎの耳に似ているから、うさぎを当て、
申は、人間のあばら骨に似ていることから、
人間に一番似ている動物さるとなった
と文字の形や意味合いから12の動物に当てはめた
 
日本には、6~7世頃 飛鳥時代に伝わり、現在も使っている十二支となった
 
亥は、中国では豚が当てはめられている
十二支が伝わった当時、日本には豚がいなかったため、
豚に似ていたイノシシが当てはめられた

(158)

●肉じゃがは、元々ビーフシチューの失敗作だった
 
明治34年、東郷平八郎がビーフシチューを作ろうとしたが、
当時の日本では、材料に欠かせないバター、
デミグラスソース、ワインが入手困難
 
代わりに砂糖、醤油、ゴマ油など日本の調味料で
ビーフシチューの色を出そうと色々入れたところ、
ビーフシチューとは異なる料理が偶然 完成した

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ペンギンは、元々ペンギンという名前ではなく、
別の鳥がペンギンと呼ばれていた
その鳥の名前は、オオウミガラス
ヨーロッパでは、Pinguis(ピングゥイス)と呼ばれていた
元ペンギンのオオウミガラスは、
13世紀ごろに北半球で発見されたが、
1844年、船乗りたちによる乱獲で絶滅してしまう
 
その後、南半球でも似た鳥が発見される
この鳥は、先住民からホイホと呼ばれていた
 
●ペンギンは、元々ホイホという名前だった

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麻布十番の地下鉄もない頃、商店街には喫茶店が一軒だけしかなく、
よそ者や一見が遊べる雰囲気ではなかった
そこで喫茶店のマスターに「どうすれば仲良くなれる?」と聞いたところ、
土曜の夜に吸い殻の掃除をした青年団が飲むから、それに参加してみたら?」
と言われたので、「8時だヨ!全員集合」終わりに、
吸い殻拾いを手伝って青年団と飲むようになってから仲良くなった
●麻布十番の道路が石畳になったのは、志村けんのおかげ
志村けんが住み始めた頃、麻布十番は、下町風情が残るアーケード街だった
オシャレな街にするために商店街からアドバイスを求められ、
赤坂の一ツ通りの歩道の石畳がいいよ、とアドバイスした
仲良くなった志村けんは、麻布十番祭りのミスコンの審査員をしていたことも
 
●じゃんけんの「最初はグー」は、志村けんの発案
阪神の真弓と飲んで散々酔っ払って、
誰が払うかとじゃんけんで決めることに
でも皆 酔っ払っているため、バラバラでじゃんけんができない
そこで「グー出して、最初はグーで」から「最初はグー」が始まった
「8時だヨ!全員集合」で仲本工事とじゃんけんする際に
「最初はグー」をテレビで披露した

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