言葉/語源/由来」カテゴリーアーカイブ

スターバックスコーヒーをスタバと略する日本人は、95%
ファミリーマートをファミマと略する日本人は、90%
しかし外国人には、言葉を省略する発想がない
●言葉を略するのは、日本人だけ
 
ボールペンは、ボールポイントペンの略語
リモコンは、リモートコントローラーの略語
すでに本当の名を忘れるほど、日本では略語が飛び交っている
 
古代民族研究所:大森亮尚氏によると
●日本人は言葉を省略することで仲間意識を強くしている
江戸時代の裏社会で生きる侠客が、
仲間内で使っていた隠語を奴詞(やっこことば)という
彼らが仲間内だけで通じるよう考えだしたのが、奴詞
今も使われる「ヤバイ」という言葉も奴詞の一つ
「番屋(警察署)に気をつけろ」=「ヤバイ」
番屋とは呼べなかったので「やんば」→「やば」→「ヤバイ」と転じた
 
スタバも店舗が少なかったころ、常連客の間で使われ始め、
そんな常連客への憧れが、店舗数の増加と共に広がり、全国的に広まった
 
略語には、日本人らしい心の美しさを感じさせるものがある
「さようなら」は「左様ならば これにて失礼します」の略語
省略するのは、相手に忖度してほしいから
日本人には語りたくない言葉を省略し、思いを察することを美徳としていた
 
ちなみに「こんばんは」は「今晩はよい晩ですね」の略語
さらに「よい晩ですね」には「今晩は無事に一日をお過ごしになってよい夜をお迎えに
なりましたね」という意味が込められている
「こんばんは」は相手を祝福する言葉だった

(392)

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●「チャキチャキの江戸っ子」の「チャキチャキ」の語源
 
嫡子、嫡男、正嫡の「嫡」が語源
 
嫡とは、正統に受け継ぐという意味
血筋にまじりけがなく純粋なこと
生粋が近い
 
それが2つ続けて「嫡嫡」から転じて
東京の方言として「チャキチャキ」になったと考えられている
 
●ほくそ笑むの「ほくそ」は、人の名前
中国に北叟(ほくそう)という老人がいて、占いが得意だった
自分の占い通りに事が運ぶと、少しだけ笑うことがあった
北叟笑む→ほくそ笑むになったと言われている

(142)

アイルランドでは、クローバーは国の国花に指定されている
1500年前、宣教師がキリスト教で大切な三位一体の教えを
三つ葉を使って説いて以来、三つ葉のクローバー=シャムロックは、
アイルランドの聖なる花となった
アイルランドでは国家間の友好のしるしに三つ葉のクローバーを贈る習慣がある
 
●クローバーをシロツメクサと呼ぶようになったワケ
そのクローバーが、初めて日本に入ってきたのは、江戸時代
オランダからの貴重なガラス製品を運ぶ緩衝材として箱の中に詰められていた
そのため白い花が咲き、荷物に詰められていたクローバーを
日本ではシロツメクサ(白詰草)と呼ばれるようになった
四つ葉のクローバーを特別視することも、この頃に伝わった
 
●幸運が訪れる四つ葉のクローバーが発生するワケ
四つ葉のクローバーが発生する仕組みは、人に踏まれるから
成長過程の葉が小さいときに人に踏まれ傷つけられたりすると
そこから分裂し、4つ目の葉が増える
人に踏まれやすい場所の方が、四つ葉のクローバーは発生しやすい

(149)

●相撲界を角界というワケ
角界と呼ばれるようになったのは、相撲が読みにくかったから
元々 すもうは、相撲と角力という2つの漢字があてられていた
角力とは、力比べという意味で、中国の言葉
 
江戸時代、相撲は庶民が読みにかったため、簡単な角力が定着し、
相撲界を角界と呼んでいた
 
●歌舞伎界のことを梨園というワケ
中国の皇帝が、梨の木のある庭で音楽や舞踊を教えたという故事から
音楽や舞踊を学ぶ人を梨園の弟子と呼ぶように
江戸時代の漢学者が演劇界を梨園と呼んだのがはじまりと言われている

(233)

ドタキャンとは、土壇場で予定をキャンセルすること
●ドタキャンの土壇場とは、首切りの刑場のこと
江戸時代以前、土を盛って築いた場所を土壇と呼んでいた
江戸時代、土壇で罪人を横たわせて
首を切る事から土壇場と言われるように
そこから、どうにもままならない、行き詰まる、
最後の決断を迫られることを土壇場が使われるようになった
 
●勉強とは、元々 学習するという意味ではなかった
勉強の本来の意味は、気が進まないことをしかたなくすること
勉強を学習するという意味で使われるようになったのは、明治以降から

(128)

令は、下が「マ」と「刀」のような形の2種類の書き方がある
先に誕生したのは「マ」の「令」
命令や指令などの熟語に使われるように「いいつける」という意味もある
建物の下でいいつけを聞いている様子から生まれた象形文字
7世紀くらいには、現在の形になっている
「刀」のような「令」は、16世紀 中国の明時代に作られた
そのきっかけは、木版印刷
当時は、木に文字を掘って版画のように印刷して書物を作っていた
木を彫る際、「令」の「マ」は彫りにくい
斜めを直角に木目に沿って掘りやすいように変化し、
「刀」のような「令」が誕生した
これを明朝体という
木に彫りやすいようにアレンジされた文字のこと
それが印刷物として広まり、
明の王朝の時に作られた書体なので明朝体と呼ばれるようになった

(148)

千葉県浦安市にある舞浜駅
東京ディズニーランドは、舞浜の面積の約6割を占める
1963年、浦安沖(現 舞浜)の埋め立てを開始
1975年に埋め立てが完了し、浦安市舞浜という地名がつけられた
 
●舞浜の名前の由来は、マイアミビーチではない
 
舞浜の名前の由来は、
アメリカのディズニーワールドがあるフロリダ州のマイアミビーチ
マイアミのマイを舞、ビーチを浜にして
舞浜が名付けられたと言われてきたが、
市の議事録によると神社の行事で巫女が披露する浦安の舞から
名付けられたことが分かった

(909)

おつまみ、酒の肴は、現在 お酒を飲むときに食べるものと
同じ意味で使っているが、
本来は、おつまみと酒の肴は、明確に分けることができる
酒の肴は、奈良時代には使われていた
当時酒の肴は、塩、醤、塩辛、貝の干物、果物、木の実など
肴(さかな)の「さか」は「酒」のこと、「な」は「おかず」のこと
●さかな とは、酒を飲むときに食べる料理のこと
その後、中国に、酒を飲むときに添える料理という意味の
「肴(こう)」という漢字があったので、「さかな」という言葉にあてられた
 
「おつまみ」という言葉が使われるようになったのは、
平安時代から室町時代と言われている
当時、酒と一緒に食べられていたのは、
塩、醤、塩辛、貝の干物、果物、木の実の他に
魚介類などの蒸し物、野菜の煮物、鴨や雉の焼物
この中で おつまみに分類されるのは、塩、貝の干物、木の実
●おつまみとは、箸を使わずに手でつまんで食べるもの
 
●魚(さかな)の由来は、酒の肴
江戸時代以前は、魚は訓読みで「うお」、音読みで「ぎょ」と呼んでおり、
さかなとは呼んでいなかった
江戸時代になると漁が盛んに行われるようになり、
酒と一緒に食べる料理として、刺身や焼き魚などの魚料理が
人気となりよく食べられるようになった
酒の肴のイメージが魚となり、次第に魚(うお)を(さかな)と呼ぶようになった

(273)

山手線 池袋駅は、元々何もない鉄道を分岐する信号所だった
明治36年、町の発展により駅へ昇格した
 
●池袋の地名の由来は、袋のような丸い池がたくさんあったから
 
池袋村は、現在の池袋駅よりも北側にあり、袋の形をした池がたくさんあった
この辺りは、窪地だったため、水が沸き、
池が極めて多かったことから、そのまま地名となったと考えられている
 
ホテルメトロポリタンの前にある元池袋史跡公園に、
池袋の由来となったとされる池と川があった
昭和初期まで農業用水として利用されていたが、
都市開発により川は地下を流れる暗渠となっている

(207)

●渡部さんの職業は、船渡しだった
飛鳥時代には、渡部さんがいたと言われている
現在の大阪、摂津国で船渡しをしていた人たちが、名乗った名字が渡部
部は、当時の職業を表す漢字
船渡しの職業を渡部と書き、(わたしのべ)と呼んでいた
次第に、わたしのべ→わたしなべ→わたなべと変化した
船渡しの職業だった人が、その後、名字として名乗るようになった
 
●渡辺は、元々名字ではなく地名だった
平安時代、現在の大阪あたりで船渡しの仕事をしていた渡部さんたちは、
職業柄 皮の近くの集落に住んでいた
そんな渡部さんが住む集落を渡部の辺りと呼んでいた
次第に渡部を辺りを略して、渡辺という地名で呼ぶようになった
 
平安時代中期になると渡辺の地を治めるため源綱が訪れる
渡辺を治ることになった源綱は、渡辺綱と姓を改めた
それまで地名だった渡辺を、名乗ったため最初の渡辺となった
 
当時、京の都の近くには鬼と呼ばれていた盗賊が悪さをしていた
鬼退治に呼ばれた渡辺綱は、見事に鬼を成敗した
この鬼退治伝説は、都周辺に広がった
渡辺綱の活躍が広まるにつれ、渡辺に姓を変える渡部さんが続出
 
その後、鎌倉時代になると船渡しをしていた渡辺さんは、
その技術が買われて各地の権力者に雇われるようになり、
全国に渡辺さんが広まった
 
●他に派生したワタナベの名字は、戸籍を登録するときに役人が書き間違えたモノ

(209)

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