●「しいたけ」と「どんこ」の違い
クヌギの木に直径1㎝の穴を開け、
しいたけ菌を植え付け、1年半、原木を寝かせる
しいたけ菌が木の栄養分を吸い取り、クヌギの木全体に菌糸が広がり、
菌糸の先端が木を突き破ると、しいたけの芽が出る
芽が出ると成長は早く、3週間くらいで収穫となる
 
ここまでは「しいたけ」も「どんこ」も同様
●カサの開きが、7分未満のモノを24時間乾燥させたしいたけを「どんこ」と呼ぶ
 
●カサが7分以上開いたモノを収穫し、乾燥させたモノを「しいたけ」と呼ぶ
どんこは、わずかな時間しか収穫できないため、しいたけよりも値段が高い
 
●カサの開いていないしいたけを、どんこと呼ぶようになったワケ
明治時代初期、当時、日本では、カサが開いたしいたけと
カサが開いていないどんこを混ぜて販売されていた
そこへ中国人がカサが開いていない干ししいたけを選び、「どんぐ」と呼んだ
中国では、カサが開いていないしいたけは、
肉厚で美味しいと普通の干ししいたけと差別化するために
「どんぐ」と呼び分けていた
「どんぐ」という呼び方が次第に「どんこ」に変化
その後、日本でもカサが開いていないしいたけを「どんこ」と呼び分けるようになった

(153)

スポンサード リンク
●寿司屋の湯飲みが大きいワケ
 
江戸時代に誕生した寿司屋
当時は、小さな湯飲みでお茶を出していた
寿司は、庶民に大人気で常に満員
当時の寿司屋は、調理から接客まで店主一人で
切り盛りしていたため、お茶のおかわりもかなりの負担だった
そこでお茶のおかわりを何度も頼まれないように大きい湯飲みに変えた
 
大きな湯飲みに変えたことで、
客は汚れた手をお茶で洗うようになり、
濡れた手をのれんで拭いて帰った
そのため昔は、のれんが汚れているほど繁盛している美味しい寿司屋の証だった

(271)

かつてロールケーキは、渦巻き型が一般的だったが、
ひと巻き型をブレイクさせたのが、
大阪モンシェールの堂島ロール
 
●堂島ロールが誕生したきっかけは、生地が足りなくなったから
 
ある日、渦を巻くためのスポンジ生地が足りなくなった
新たにスポンジを作る材料もなく、
苦肉の策としてひと巻きにして売り出したところ、ブレイクした

(384)

温泉の掛け流しは、循環させることで
お湯を常にキレイに保つ役割もあるが、もっと重要な役割がある
 
●温泉の掛け流しは、ガス中毒を防ぐ役割がある
 
温泉特有の匂いの原因、硫化水素
掛け流しではなく、湯船の中からお湯を入れる方法だと、
空気よりも重い硫化水素が、お湯の中に溶け込んだままとなり、
人が入るとガスが一気に放出され、ガス中毒となる
 
掛け流しは、お湯を上から注ぐことでガスを空気中に排出している
 
環境省の温泉の利用基準に、浴槽の湯面より上から掛け流すよう定められている

(236)

おつまみ、酒の肴は、現在 お酒を飲むときに食べるものと
同じ意味で使っているが、
本来は、おつまみと酒の肴は、明確に分けることができる
酒の肴は、奈良時代には使われていた
当時酒の肴は、塩、醤、塩辛、貝の干物、果物、木の実など
肴(さかな)の「さか」は「酒」のこと、「な」は「おかず」のこと
●さかな とは、酒を飲むときに食べる料理のこと
その後、中国に、酒を飲むときに添える料理という意味の
「肴(こう)」という漢字があったので、「さかな」という言葉にあてられた
 
「おつまみ」という言葉が使われるようになったのは、
平安時代から室町時代と言われている
当時、酒と一緒に食べられていたのは、
塩、醤、塩辛、貝の干物、果物、木の実の他に
魚介類などの蒸し物、野菜の煮物、鴨や雉の焼物
この中で おつまみに分類されるのは、塩、貝の干物、木の実
●おつまみとは、箸を使わずに手でつまんで食べるもの
 
●魚(さかな)の由来は、酒の肴
江戸時代以前は、魚は訓読みで「うお」、音読みで「ぎょ」と呼んでおり、
さかなとは呼んでいなかった
江戸時代になると漁が盛んに行われるようになり、
酒と一緒に食べる料理として、刺身や焼き魚などの魚料理が
人気となりよく食べられるようになった
酒の肴のイメージが魚となり、次第に魚(うお)を(さかな)と呼ぶようになった

(279)

●メンチカツは、ミンスをメンチを聞き間違えて命名された
メンチカツは、東京 銀座にある煉瓦亭が日本で最初に作った
創業 明治28年の老舗洋食店 煉瓦亭
メンチカツは、開店から4年後の明治32年に初代 木田元次郎が作った
豚肉を油で揚げたポークカツレツをヒントに
ひき肉を揚げた新たな料理を生み出したが、名前を付けるのに悩んだ
外国人にも分かりやすいように英語の名前を付けないと、
店に来た外国人に「ひき肉って英語でなんて言うんですか?」
と聞くと「Mince meat」
木田は、肉を挽くという意味のMince(ミンス)をメンチと聞き間違い、
ひき肉を揚げたカツレツにメンチミートカツレツ、略してメンチカツと命名
メンチカツは、人気となり、全国に広まったことで
次第にひき肉のことをメンチと呼ぶようになった
 
●関西でメンチカツをミンチカツと呼ぶようになったワケ
昭和5年に、その当時流行していた言葉や外来語をまとめた「モダン辞典」が発行され
この時点に、ひき肉を意味する言葉として、ミンチが採用された
当時新聞用語や専門用語の解説にも使われるほど
大きな影響力を持っていたため、ひき肉=ミンチとなった
 
実は、煉瓦亭で誕生したメンチカツが関西に伝わった時、
メンチカツとは呼ばずにミンチカツと呼ぶようになった
煉瓦亭のメンチカツは、材料に豚と牛肉の合い挽き肉が使われていた
関西で肉と言えば主に牛肉が食べられていたため、牛100%のひき肉が使われた
材料が違うので料理名を変えようと考え、
聞き間違えたメンチではなくミンスミートに近いミンチカツと名前を変更した
モダン辞典を編集する際、聞き間違えたメンチではなく、
英語のミンスミートに近いミンチが採用された
しかし関東を中心にメンチカツという料理名は、
定着していたので現在でもメンチカツという料理名が残っている

(279)

埼玉県の熊谷市は、2018年7月23日に国内最高気温41.1℃を記録するほど暑い街
●埼玉県熊谷市で開発された暑さに強い米が、将来の食糧危機を救う
 
2007年、熊谷にある農業技術研究センターで、
研究、開発で育てていた約300種類の稲が、高温障害でほぼ全滅した
その中で、たった一つ生き残った稲があった
調査すると従来の稲より、暑さに非常に強いことが分かった
地球温暖化が進み、稲が育ちにくい環境となる予想がされている中、
生き残った稲は、今後の日本の食糧事情を支える可能性があると考えられている
 

その米は、彩のきずな と名付けられた

(197)

福井県鯖江市は、メガネの街
国産メガネフレームの95%を生産している
●福井県鯖江市が、メガネの街となったワケ
 
豪雪地帯の鯖江は、12月から3月の間、農家には仕事がなく困り果てていた
明治時代の有力議員 増永五左ヱ門は、
メガネ作りの本場 大阪からメガネ職人を呼び寄せ、農家に作り方を学ばせた
雪国育ちで我慢強く、やることもない農家は、どんどん技術が上達
品質も向上し、鯖江にメガネ作りが根付いた
 
増永五左ヱ門がメガネに目を付けたのは、新聞が普及したから
当時、日本は日露戦争 真っ最中
戦況を知りたい庶民の間で新聞が一気に普及し、メガネの需要が急増した

(219)

埼玉県草加市は、おせんべいの発祥の地
草加は江戸時代、日光街道の宿場町として栄えた
そこで、団子屋の看板娘おせんさんが、
売れ残った団子を平らに潰して焼いて売ったのが、せんべいのはじまり
 
●草加せんべいが、爆発的にヒットしたのは、川で運ばれた醤油のおかげ
 
草加の川上に位置する千葉県野田市は、
キッコーマンの工場もある醤油の一大生産地
江戸時代の頃から生産品だった野田の醤油は、
利根川を利用して運ばれ、江戸に供給されていた
その途中にあった草加は、いち早く醤油を仕入れることができた
元々、せんべいが誕生したころは、塩せんべいしかなかった
せんべいに最初に醤油を塗ったのは、草加
それまで無かった香ばしい醤油せんべいは、たちまち大ヒット
草加を代表する名産となった

(157)

巣鴨と言えば、おばあちゃんの原宿
巣鴨地蔵通り商店街には、年配者向けの衣料品店や甘味処が軒を連ねている
連日、大勢のお年寄りで大盛況
巣鴨がお年寄りも街となったきっかけは、とげぬき地蔵尊がある高岩寺
元々 上野駅の目の前にあった高岩寺は、区画整理に伴い、
1891年(明治24年)に巣鴨に移転した
当初は、参拝客が少なく、頭を痛めていた
寺の関係者が、参拝者を集めるために とげぬき地蔵尊と書かれた扇子を当時 開通したばかりの路面電車の座席の上に、
わざと置き忘れ、誰かに拾ってもらう広告を繰り返し、徐々に参拝者が増え始めた
人々の病気や悩みのとげを抜く御利益がある とげぬき地蔵尊のおかげで、お年寄りに人気の寺となった
昭和に入ると年配者向けの商売を始める店が増え、全国から大勢のお年寄りが集まるように

(216)

スポンサード リンク