米どころとして知られるスペイン東部バレンシア地方の郷土料理
パエリアは、バレンシア語でフライパンを意味する
 
主にパエリアは、エビやムール貝、
イカなど多くの魚介類とサフランを米に加えて炊きこむが、
●スペインでは、パエリアの米しか食べない
 
具材の魚介類は、出汁をとるためだけ
現地のスペインでは、出汁を出し切った魚介類は食べずに
米だけ食べるのが普通
 
本場のバレンシアでは、ウサギ肉、鶏肉、カタツムリ、
インゲンマメ、ピミエントなど山の幸を中心に用いて作られる

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2017年、ウースター工科大学のグレン・ガウデット教授の研究
●ほうれん草から作った心臓が2週間 動き続けた
 
ほうれん草の葉脈が、人間の心臓の血管に構造が近い
その葉脈を含めたセルロースだけを残す
セルロースは人体との親和性が高い
そこに心臓の細胞を移植すると、増殖し機能し始める
血液を流してみたところ、
5日後から脈を打ち始め、最長2週間動き続けた
 
ある研究者がランチを食べているときに、
ほうれん草の葉脈が、
心臓の血管に似ていることに気づいたのが、発想のきっかけとなった

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●「こする」「なでる」「さする」の意味の違い
 
どの言葉も手を何かの対象物にあてて動かす様子を表す言葉
動かす力の入れ具合で3つの言葉を使い分けできる
 
力の入れ具合が強い順番が、
「こする」→「さする」→「なでる」
 
「こする」は、漢字で「擦る」と書く
「擦」には削り取るという意味がある
「擦る」は、削り取るほどの力で繰り返し動かすという意味
 
「さする」は、漢字で「摩る」と書く
「摩る」には摩擦を起こすという意味がある
摩擦を起こすだけの力で繰り返し動くという意味
 
「なでる」は、漢字で「撫でる」と書く
「撫でる」には、可愛がるという意味がある
愛おしいものを触る表現となる
「なでる」は、一方向に1回滑らせるだけ
 
●十分と充分の違い
十分は、物理的に満たされている状態
充分は、気持ちが満たされている状態
 
●天気と天候の違い
天気は、特定の日時の大気の状態
天候は、まとまった期間の大気の状態
気候は、天候よりも長い期間

(1761)

●中国で大皿料理が出されるようになったワケ
1300年前の唐の時代、中国史唯一の女帝:武則天
女の皇帝を気に入らない家臣がいるはずと
武則天は、食事に毒を盛られることを恐れていた
それを未然に防ぐために御膳を使わずに大皿にして取り分けて食べることに
みな同じお皿の料理を食べるから毒を盛られることはない
 
●中国で大皿料理が出されるようになったは、毒殺防止のため
その後、大皿で食事をする文化は、一般家庭にも広まった
清の時代に、丸いテーブルが使われるようになった
 
●回転テーブルを初めて作ったのは、日本人
1929年(昭和4年)、日本橋にあった中華料理店 濱のやが初めて回転テーブルを作った
3年後の1932年、目黒雅叙園でも回転テーブルが作られた
 
●中華料理と中国料理の違い
中国料理は、中国での作り方を変えずに提供している
一方、中華料理はラーメンのように日本人がアレンジして提供している

(1851)

●湯布院と由布院
 
「ゆふいん」という地名がつけられたのは、奈良時代
古くから楮と呼ばれる木がたくさんあり、
その皮から採れる「ゆふ」と呼ばれる繊維を使って布などを作っていた
米などを保管する院と呼ばれる蔵がいくつもあったことから、
「ゆふ院」と呼ばれるようになった
 
平安時代、古くから布を作っていたことから
物事の始まりを意味する「由」と「布」をあてられ「由布院」となった
 
大正時代、地元の有力者が由布院に
別荘を建てたことから次第に温泉街として有名になった
 
昭和30年、由布院町と隣村の湯平村が合併
湯平村の「湯」を由布院の「由」にあてて、「湯布院」が誕生した
昭和30年前に建てられた建物や施設は、由布院を使用している
さらに温泉の正式名称も、由布院を使用している

(179)

宇宙飛行士は、船外活動など約6時間トイレに行けないケースが多く、
オムツの着用が義務付けられている
 
オムツを着用することになったきっかけが、
1961年、宇宙飛行士のアラン・シェパードが、宇宙服内で尿を漏らした
宇宙服の中に尿が散乱し、電子機器が故障した
これ以降、宇宙服内はオムツを着用することを義務付けられた
 
NASAでは、5日間着用できるトイレ機能付きの宇宙服を開発している

(151)

それまで「ん」という発音はあったかもしれないが、
日本語でも中国語でも表記する文字がなかった
 
それを発明したのが、弘法大師 空海
空海が学んだインドのサンスクリット語での
呪文を唱えるためには「ん」の発音ができないといけない
 
空海が作ったのは「阿吽」の「吽」
「吽」は「こう」と呼ばれていたが、
中国の文献に使われていないので
「吽」の発音を「ん」に改めた

(490)

クウェートで医師の娘として生まれたラーニアは
湾岸戦争の戦火から逃れるため、ヨルダンに移住
エジプトの大学を卒業後は、ヨルダンに戻り、大手銀行に勤務
その頃、知人のパーティーで知り合ったのが、
ヨルダン皇太子 アブドラ王子だった
2人は出会って半年で結婚
ラーニア王妃は、女性の地位を向上させようと
女性の職業訓練所を作ったり、孤児を守る財団を立ち上げた
2004年には、ダイアナ妃以来 王室から
2人目となる世界で最も影響力のある100人に選出
 
4人前の子供が生まれた際には、
「私に花束を贈るより孤児を守るキャンペーンに寄付してください」と
 
そんなラーニア王妃が作った絵本「ふたりのサンドウィッチ」が、
ニューヨークでNo,1の大ヒットを記録
ラーニア王妃が幼少期に体験した実話をもとに書かれた
たとえ文化が違っていてもお互いを知り認め合うことで
1つになれるというメッセージが込められている

(121)

1993年、世界で初めて保湿ティッシュを開発した河野製紙
最初は、柔軟剤を入れてみたが、思った以上に柔らかくならず、
そんな失敗を繰り返し、開発には2年の歳月がかかった
 
●保湿ティッシュは、しっとり柔らかくするために甘味料が入っている
ジュースやお菓子などを作るときに使用する甘味料
甘味料をティッシュに塗ることで保湿ティッシュになる
 
甘味料には、空気中の水分を吸いつける吸湿性がある
 
砂糖を棚に置いておくとカチカチに固まる
それは砂糖にも空気中の水分を吸う性質があるから
保湿ティッシュは、この原理を利用している

(197)

アメリカでは運転席の隣の席を
パッセンジャーシート(乗客席)と呼ぶが、
日本では運転を助けるわけでもないのに助手席という
 
●助手席はタクシーから誕生した
 
日本で車が走るようになったのは、大正時代に入ってすぐ
当時は自家用車は少なく、車といえばタクシーだった
当時の車は、エンジンをかけるのに
運転手が3つのレバーを操作し、
もう一人が手動ハンドルを回す必要があった
そのもう一人のことを助手と呼んでいた
他にも助手は、着物の客が乗りやすいように補助台を出していた
ウインカーもサイドミラーもないため
周りの安全確認も助手の仕事だった
 
助手は、運転席の隣に座っていたので、
その席を助手席と呼ぶようになった

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