●スケトウダラを食べると衰えた筋力が取り戻せる
立命館大学の藤田聡教授と日本水産 食品機能科学研究所がヒト臨床実験を実施
65歳以上の女性19人に、
3か月間 毎日スケトウダラ30gを摂取してもらったところ、
脂肪と骨を除いた筋肉量の目安となる部分が増加することを確認
筋トレなど特別な運動をしないでも
筋肉量が増えていることが分かった
 
また愛媛大学と東京大学で実施したラットを使った実験では、
白身魚を食べた若いラットは、たった3日間で筋肉量が増加
若者への効果も期待されている

(193)

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花見は、奈良時代の貴族から始まった
当時の花見は、桜ではなく梅
奈良時代、中国に遣唐使が派遣された頃、
中国の貴族は、梅の花見をしていたおり、
梅の花見の文化は、そのまま日本に伝わった
山に生えていた梅の木を屋敷の庭に植えて花見をするようになった
 
平安時代 811年、貴族の間で梅の花見が大流行していた
桜の花見を最初に始めたのは、嵯峨天皇
当時、天皇は住んでいる京都御所から出ることは滅多になかったため、
嵯峨天皇は久しぶりの外出をとても楽しみにしていた
御所車に乗っていた嵯峨天皇の目に、
京都にある地主神社に咲いていた満開の桜が飛び込んできた
桜の美しさに感動した嵯峨天皇は、梅ではなく桜で花見をすることに
翌年の812年、地主神社の桜の枝を京都御所に持ってこさせ、
日本で初めて桜で花見をした
その後、嵯峨天皇の息子 仁明天皇によって
京都御所の梅の木を桜の木に植え替え、桜の花見の文化が定着していった

(199)

風邪の場合は、風邪をひくという
●風邪にかかると言わないワケ
インフルエンザにかかるを漢字で書くと「罹る」
罹るは、病気になるという意味
インフルエンザ以外にも
喘息にかかる、肺炎にかかる、花粉症にかかる
風邪は、元々 病気ではなかった
風邪は、咳、熱、鼻水の状態を持っているときに使う言葉だった
昔からあまりにも多くの人が、
体調が悪くなった時に「風邪をひく」と言っていたので
「かぜ症候群」という病気になった
 
●風邪をひくと言葉が使われるようになったのは、平安時代から
平安時代中期、京の都では、咳や熱などで体調を悪くする人が続出
それによって多くの人が命を落とした
それは平安時代に流行した家の造りにある
奈良時代は敵の侵入を防ぐために窓が少なく壁で全面を覆っていたが、
平安時代になると日本の四季を感じるために庭を造り、
部屋と外を仕切る壁が無くした
これが原因で風が直接体にあたり、体調を悪くする人が続出
風を体に引き込むと体調を崩すことから、
「風をひく」という言葉が生まれた
「風をひく」という言葉は、貴族から庶民に伝わり、
体に悪い影響を及ぼす風を邪気と考え、
風に邪気の邪をあてて「風邪」と呼ぶようになった

(216)

●「了解しました」と「承知しました」の違い
 
「了解しました」は、目上の人が目下の人に使う「分かりました」
「承知しました」は、目下の人が目上の人に使う「分かりました」
 
了→終わらせる、解→理解する
了解しましたは、話を理解して終わらせるという意味
終わらせる権限があるのは、目上の人
 
承るは、聞くの謙譲語
謙譲語とは、自分を下に下げる表現
承知しましたは、目下から目上に使う

(167)

●卵と玉子の違い
卵は、生物学的なたまごを指す場合に使う
玉子は、調理されたたまごを指す場合に使う
 
卵の漢字は、歴史が古く平安時代に生まれた
かまきりなどの生物は、木の枝に卵を産みつける
その様子が、象形文字になり現在の卵の形になった
 
玉子は、室町時代に生まれた
南蛮貿易がはじまり、ポルトガルから
カステラや鶏のたまごを使った料理が伝わった
そのたまご料理を食べてみたところあまりに美味しくて有り難がった
宝石という意味の玉を使い、
その玉から子が生まれることから玉子が使われるようになった
 
卵かけご飯は、卵を調理していないので卵を使用する
たまご焼きは、卵を調理しているので玉子焼きとなる
 
●「ひやひや」と「はらはら」の使い方の違い
「ひやひや」は、他社がやることを見て心配な時に使う
「はらはら」は、自分に来るかもしれない危険に対して使う
 
●「角(かど)」と「角(すみ)」の使い方の違い
「角(かど)」は、角を外側から見た場合に使う
「角(すみ)」は、角を内側から見た場合に使う

(144)

尻尾のような形からエビは1尾、2尾…
イカは頭が酒を飲むときに使う杯(さかずき)に似ているから1杯、2杯…
イワシの目に串を刺して干して作るめざし(目刺し)は、
数匹ずつ連ねて干していたことから1連、2連と数える
他にもアジは匹、サンマは本、ヒラメは枚と数える
 
●魚の種類で数える単位を変えたワケ
かつてはアジもサンマもヒラメもイカも1匹、2匹と数えていた
江戸時代に入ってから魚の種類によって数え方が違ってきた
 
江戸時代、漁師が獲った魚を魚問屋が買い取り、
魚問屋は買い取った魚を棒手振りと呼ばれる行商に託し、
町で売りさばいてもらっていた
魚問屋は棒手振りに魚を託す時に、魚の種類と数を帳簿に記録していた
毎度佐中の名前を書くのは、字画が多いので、大変
 
そこで魚問屋は、魚の種類によって数える単位を変え、
帳簿に書く魚の名前を省略した
例えば、十本、三枚、五杯と魚の名前を書かなくても魚の種類が分かる

(262)

●目が大きくなり小顔になる静脈マッサージ
 
・津田クリニック:佐賀県佐賀市駅前中央2-2-28 グレイス佐賀駅前セントラル2F
あまりの効果に佐賀にあるのに東京からも客が訪れるという
 
静脈をマッサージして血流を良くし、
余分な水分を静脈に取り込んで体外に排出する
 
●自宅でできる静脈マッサージ
1、生え際を始点に耳の穴の前に向けてマッサージ
徐々に始点を頬骨あたりまでズラしていく
 
2、小鼻の脇から耳たぶの下へマッサージ
頬骨の下、あご下を流す
 
3、目頭からえらの内側のくぼみに向かって3回
 
4、首の内頸静脈と外側の静脈を左右交互に3回ずつ流す
 
これを3セット行う

(139)

1883年(明治16年)、原は27歳の時、
13歳年下ので当時14歳の貞子と結婚
貞子の父親は、明治の怪傑、奇人、滑稽家、
鹿鳴館の名付け親でもある政治家の中井弘
新聞社を辞めたばかりで外務省で働き始めた原は、
政治家になる足がかりとして結婚した
しかし貞子は、家事は一切できないばかりか、原を困らせてばかり
貞子の悪妻ぶりは、年々エスカレート
結婚から17年、貞子が31歳の時、原は念願の政界進出を果たす
貞子は、原が何も言わないのを良いことに、
一人温泉旅行に出かけるなど勝手気ままな生活を送り続けた
さらに自宅に出入りする男と不倫までする始末
 
1905年(明治38年)、三浦に保養に行きたいとの
貞子の突然の申し出に原は快諾
この保養は、貞子が不倫相手との子供を出産するためだった
この時、貞子は妊娠5か月
お腹が目立つ前に長期の保養をとった
 
22年もの間、奔放な妻を我慢し続けてきた原は、離縁状を送りつけた
しかし原は、貞子が亡くなるまで貞子と不倫相手の子供を金銭的に面倒を見続けた

(4938)

臨床心理:山名裕子によると
●天気予報をみるとお金持ちになれるかも
 
日本気象協会のアンケート調査で
高収入の人ほど天気予報をチェックしていることが分かった
年収200万未満の人は、天気予報をチェックしている人が9%
年収500万~750万未満の人は17%、
年収1000万円以上の人は28%
 
高収入の人は、天気も含めて先のことを見越して
効率的に行動する習慣が身についている
 
天気をチェックする癖をつければ先を読む考え方が定着し、
高収入につながるかもしれない

(252)

●「のし」の誕生
奈良時代、人々は天皇に農作物や特産品を献上していた
海の近くに住んだいた人々は、あわびを献上品に
しかし生あわびは腐りやすいので、干物にすることに
干物にするには時間がかかってしまう
より早く乾かすためにあわびを細長く切り、
熱した鉄で薄く延ばすようになった
当時、伸ばすことを「熨す(のす)」と
言っていたので、熨しあわびと呼んでいた
熨しあわびは天皇に献上するほど貴重な物ということから、
いつしか相手への敬意を表す意味を持ち、
贈り物に添えて相手に渡すようになった
 
江戸時代には、より相手への敬意を表すために
干しあわびにきれいに紙で装飾するようになり、
だんだん豪華な装飾を施したモノに進化した
 
昭和になり戦後の物不足の影響と本物のあわびが高価だということから
次第に贈り物には印刷した熨しあわびをつけるようになった
 
●お葬式のお供え物や香典返しに「のし」をつけないワケ
贈り物に「のし」をつけるのは、
めでたい時と思いがちだが、本来は相手を敬うため
なので誕生日、結婚、出産、還暦、
謝罪などの贈り物をする際は、「のし」をつける
だが、お葬式のお供え物や香典返しには「のし」をつけてはいけない
お葬式では、仏教の教えで動物を殺生したモノを食べたり出してはいけない
「のし」は元々あわびを殺生して作られていたため
お葬式のお供え物や香典返しにそぐわない

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