仕事終わりの挨拶は、「お疲れさまでした」が普通だが、
●埼玉県の秩父では、仕事終わりに「お世話になりました」と言う
朝の挨拶は「お世話になります」
さらに乾杯の時にも「お世話になります」を使う人も
仕事を辞める時は、「長い事お世話になりました」
 
●埼玉県の秩父にホルモン焼き屋が乱立している
秩父には、ホルモン焼き屋が20店舗以上もある
秩父駅周辺では、コンビニよりもホルモン焼き屋の方が多い
秩父人は、ホルモン焼きのために丸い七輪を持っている
 
秩父では元々 養豚場が多く、
新鮮なホルモンを安く仕入れやすかったため広まっていった

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●舞妓と芸妓の違い
舞妓は、芸妓になるための見習いの身
中学卒業してから仕込みとして1年修業し、舞妓デビュー
踊りや三味線など様々な芸事を習得し、
体つきや雰囲気が大人の女性になったと認められると芸妓になることができる
 
15歳から20歳の仕込みと舞妓は、親元を離れ、置屋で共同生活
舞妓が寝泊まりする大部屋は、2段ベッドでぎっしり
日本髪を結ったら1週間 髪が洗えない
寝るときは、日本髪が崩れないように高枕を使って横向きで寝ている
そのイメージにそぐわないコンビニ、ファミレス、映画館、カラオケなどに行くことが禁止されている
 
舞妓は常に着物を着て日本髪を結っているが、
一人前の芸妓は仕事以外の日は服装と髪型は自由
 
芸妓になると置屋を出て一人暮らしすることが許される
また芸妓は、地毛で日本髪を結わずにカツラを使っている
 
●舞妓は踊りを舞うから舞妓、芸妓は三味線などの芸を披露するから芸妓
客前で半人前の舞妓が踊り以外を披露することはない
 
●舞妓や芸妓が、おしろいを塗るワケ
昔は照明がなく暗かった
暗い部屋でも顔がはっきりと見えるようにおしろいを塗っている

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裁判所や検察の創設などに尽力した法の番人:江藤新平
1872年、39歳の時、初代 司法卿(法務大臣)に就任
司法制度の近代化を推進した
1874年、41歳の時、江藤は政府に
不満を募らせる士族の反乱を止めるために佐賀に下った
江藤は、自ら不平士族に接触、彼らの暴発を事前に抑えるべく諭したが、明治政府の見解は、違った
政府に不満を持つ江藤は、佐賀の不平士族と接触後、意見に押し切られ、一派の首謀者に担ぎ出された
その後、江藤は、政府相手に戦争まで始めた
戦争に負け、江藤は佐賀から鹿児島、高知に逃亡
指名手配の写真制度を作った江藤は、指名手配写真に第一号に適用されてしまう
その後、ひと月の逃亡の末、指名手配写真がきっかけで逮捕された
1874年に処刑され、41歳の若さでこの世を去った

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ジョギングの提唱者:ジム・フィックス
1970年代、アメリカで問題視されていた肥満に
効果的であるとジムが出版したジョギングの本がベストセラーに
 
そんなジムは、1984年 52歳の時にジョギング中に亡くなった
いつものようにジョギングをしていると胸が苦しくなり倒れた
死因は、心筋梗塞
 
このニュースは、全米に報じられ、
ジョギングは、体調により、心臓に負担をかけ危険な場合もあると分析された

(488)

19世紀、世界で初めて電話を発明したグラハム・ベル
そんなベルは、電話を発明したのに、電話が嫌いだった
 
妻メイベルによると、晩年のベルの口癖が、
「何で俺は電話なんか発明したんだ」
ベルは、突如鳴る電話によって仕事が中断されることを嫌い、
亡くなるまで書斎に電話を置かなかった
 
電話を嫌った理由は、他にもある
電話の特許を取得したことで、587件も訴えられた
 
●光のビームを使って音や声を伝送するフォトフォン
また1980年代に普及し始めた光通信システムの原理を100年前に発明している

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日本でよく食べられる青魚といえば、イワシ、サンマ、サバ、そしてアジ
サバ、サンマ、イワシの缶詰はあるが、アジの缶詰はない
 
●サバやサンマの缶詰はあるのに、アジの缶詰がないワケ
その理由は、アジは缶詰にすると臭くなるから
 
アジに限らず、サバなどの青魚の脂は、時間が経つと酸素と結びついてヘキサナールという臭いニオイを放つ成分が発生する
 
しかしサバやイワシには、脂と酸素の結びつきを止める抗酸化物質が多く含まれているので臭いニオイを放つヘキサナールが発生しにくくなる
 
そんな中、島根県浜田市にある会社シーライフが、臭くないアジの水煮缶を開発することに成功した
 
サバの水煮缶の製造工程は、カットして缶に詰めて、塩水を入れて、蓋を閉めて加熱するだが、アジの水煮缶は、缶に詰めた後に蒸して脂を捨て、ヘキサナールの発生を防いでいる

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アイルランドでは、クローバーは国の国花に指定されている
1500年前、宣教師がキリスト教で大切な三位一体の教えを
三つ葉を使って説いて以来、三つ葉のクローバー=シャムロックは、
アイルランドの聖なる花となった
アイルランドでは国家間の友好のしるしに三つ葉のクローバーを贈る習慣がある
 
●クローバーをシロツメクサと呼ぶようになったワケ
そのクローバーが、初めて日本に入ってきたのは、江戸時代
オランダからの貴重なガラス製品を運ぶ緩衝材として箱の中に詰められていた
そのため白い花が咲き、荷物に詰められていたクローバーを
日本ではシロツメクサ(白詰草)と呼ばれるようになった
四つ葉のクローバーを特別視することも、この頃に伝わった
 
●幸運が訪れる四つ葉のクローバーが発生するワケ
四つ葉のクローバーが発生する仕組みは、人に踏まれるから
成長過程の葉が小さいときに人に踏まれ傷つけられたりすると
そこから分裂し、4つ目の葉が増える
人に踏まれやすい場所の方が、四つ葉のクローバーは発生しやすい

(154)

茶柱が立つと良いことが起きると言われているが、
●茶柱と縁起は、関係ない
 
日本茶普及協会 大森正司氏によると
茶柱は、静岡のお茶の商人が、
お茶の売れ残りを無くすために広めたと言われている
 
摘み立ての高級一番茶は、宣伝しなくても売れる
しかし茎が混じる二番茶や三番茶は、売れ行きが悪かった
そこで静岡のお茶商人が、売れ残りを無くそうと
「茶柱が立つのは吉兆」と触れ回ったのが、
茶柱が立つ=縁起が良いのきっかけ

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日本では亡くなった人の頭を北に向けて寝かせるのが一般的
●北枕は不吉の迷信は、勘違い
 
遺体を北枕で寝かせる、北枕=死を連想すると日本人は北枕を忌み嫌ってきた
 
しかし、そもそも北枕は、仏教では縁起が良いモノ
2500年前、お釈迦様は北向きに寝かせてくれと弟子に伝え、息を引き取った
仏教発祥の地 インドでは、北の方角には神々が宿る理想の国があると信じられ、
北向きで寝るのが良いとされている
そのためわざとベッドを北向きにしているホテルもある
全国にある涅槃仏もほとんどがこの話をなぞらえ頭は北向き
 
故人を北枕で寝かせるのは、お釈迦様と同じ方角を向き成仏してもらうため
しかし日本人は、本来の意味を忘れ、
死者=北枕、北枕=不吉というイメージが定着した
忌引きなど喪に服す習慣のある日本人は、死の汚れを伝染するものと考えている

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●夜に爪を切ると親の死に目に会えない、の迷信が生まれたワケ
 
この迷信が生まれたのは、
昔は、現代のように照明がたくさん無く夜は暗かった
夜に爪を切るのは、命にかかわりかねない危険なことだった
 
現代の爪切りの形は、大正時代に外国から入ってきた
江戸時代は和ばさみ、その前は小柄という小型ナイフを使っていた
 
親の死に目に会えないとは、親の死に際に立ち会えないという事ではなく
自分が先に死んでしまうので、親の死を看取ることができないということ
医療が今の時代ほど発達していなかった時代、
切り傷は感染病にかかり亡くなる可能性があった
 
戦後まで猛威を振るった破傷風は、致死率80%以上
親より先に死んでしまうという警鐘の意味を込めた迷信

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